バリー・リンドン
BARRY LYNDON
解説
『バリー・リンドン』は、スタンリー・キューブリック監督による映画作品である。本編184分(休憩含まず)。主演ライアン・オニール。原作はウィリアム・メイクピース・サッカレーの同名小説。日本では1976年に公開された。
18世紀のアイルランドを舞台に、名もない1人の青年が賭博師になり貴族の仲間入りを果たそうとした揚げ句、失意の内にアイルランドを離れるまでを描いた古典大河。本作では、当時の色彩や自然を可能なかぎりそのまま再現するためという理由から、ろうそくの灯が唯一の光源という屋内の場面の撮影がある。夜間や少しでも陰りのある屋外などで、フラッシュなどの補助照明をたかずに撮ると風景は満足に映らない。それを前提として、わずかな数のローソクの光のみが光源の屋内の映像を撮ると聞けば、素人にも「そんなの満足に撮れる訳ない」と簡単に察しがつく。しかしキューブリック監督はそれを可能にした。NASA(米国航空宇宙局)がアポロ計画に使用したツァイス50mm/f0.7というレンズがあり、それを使用して解決した。同レンズは、極端に明るいのが特徴だが、被写界深度(被斜体が前後に動いても鮮明に映る許容範囲)がないに等しい。つまり、実際の撮影で、役者が少しでも前後にずれるとたちまちピントもずれ映像がぼやけるため、カメラと役者の位置を確認しながら撮影したという。なお、そのレンズを使うにあたり、映画撮影用に改造までしている。それが実際にどんな映像になったかは、ご覧になってのお楽しみ。
キューブリック作品の中で、制作費を回収できずに赤字で終わってしまった映画のひとつであるが、映像だけでも一見の価値はある。
あらすじ
《第1部 レドモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮らしと称号をわがものにするに至ったか》
18世紀アイルランド。レドモンド・バリーの父は、バリーが幼い頃、数頭の馬の権利を争って決闘に及んだため死に至った。母は遺された一人息子バリーを育てることに専念した。
青年になったバリーは、親類に当たるブラディ家の娘で従姉妹のノラに恋をした。しかしその恋も、英国軍の大尉ジョン・クィンがブラディ家に寄ったことから破綻をきたした。クィン大尉は、イングランド人であり身分も高額の年収もある男なので、このところ財政に窮しているブランディ家としてはぜひ娘を嫁がせたいと思った。ノラ自身も、年上のクィン大尉に心を移し始めていた。嫉妬に狂ったバリーは、クィン大尉に決闘を申し込み、彼を倒す。しかし年上の友人グローガンは、警察に届けることが知れる前にダブリンに逃げることをバリーに勧めた。ポケットに20ギニーを詰め込み、その日からバリーは放浪者になった。が、その有り金も二人組の追い剥ぎに追われ、たちまち無一文になってしまう。バリーは、たまたま差し掛かった村で行われていた英国軍の兵隊募集に応じ、兵隊になった。そこで偶然にもグローガンに再会するがそれも束の間、彼はフランスとの戦いで戦死してしまう。夢見ていた栄光の戦場の幻影は消えた。友人の死後、バリーは軍の希望を捨て、脱走を考えるようになる(契約はあと6年残っていた)。馬と将校の服を盗んだバリーは脱走に成功。途中で会った友軍プロシア軍のポツドルフ大尉に案内され、城へ連れていかれる。そこでバリーは脱走したことがバレてしまい、今度はプロシア軍の兵士として働かされることになってしまう。やがて戦争は終わり、バリーの連隊は都に凱旋した。彼はポツドルフ大尉のご機嫌を取り結び、彼から偵察の手先になるよう命を受ける。「ベルリンに来ているオーストリア皇帝の息のかかった男シュバリエにしもべとして接近し、その動向を探れ」。しかしシュバリエの豪著で高貴な態度に接し、自分の身を偽り続けることができなくなり、自分がポツドルフの密偵であることを打ち明ける。そんな彼の率直な態度に心を許し、職業賭博師としてコンビを組むことに。以後2人は、流れ流れながら豪華な生活を続けた。しかし放浪の生活では、財産や身分は身に付かない。あるとき、ベルギーの豪華なホテルのテラスでひとりの美しい貴婦人レディ・リンドンを見初めるバリー。莫大な富と絶大な美貌を持っていた彼女はバリーの人生で大きな役割を持つことになる。
その夜、レディ・リンドンとお付の牧師ラントはバリー、シュバリエとカード・テーブルを挟んで向かい合う。カードが終わると、バルコニーに出たレディ・リンドンとバリーはいつしか抱擁する。はじめて出会ってから6時間後に、貴婦人は恋に落ちた。
《第2部 バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々》
1773年6月15日に、レドモンド・バリーはリンドン女伯爵を祭壇に導く名誉を手にした。バリーはこうして一大資産に囲まれて暮らす身となった。バリーの初めての息子はブライアン・パトリック・リンドンと名付けられたが、レディの前夫の子、ブリンドン卿は、新しい父親を憎悪した。
数年が経ち、バリー邸に彼の母親が住むようになった。母は、いち早くバリーに対するブリンドンの憎しみを感じ取り、保身のために爵位を取っておくようバリーに勧める。それからというもの、貴族の称号を得るためのバリーの大浪費が始まる。屋敷に多くの貴族達を招待しての園遊会。しかしそれも、成長したブリンドンとの大喧嘩がもとで難行する。これがきっかけとなってブリンドンは屋敷を離れる。爵位を諦めたバリーのブライアンへの愛情の注ぎようは異常なものとなったが、ブライアンも落馬により、幼くして死んでしまう。バリーの悲しみは深く、酒に溺れていく。レディ・リンドンもふさぎ込んだり、熱心に祈りを捧げたりで、互いに常軌を逸してしまい、顔も合わせなくなる。そんなある日、レディ・リンドンが服毒自殺を図る。命は取り留めるが、このことがグラハムによってブリンドン卿に伝えられる。怒り狂ったブリンドンはバリーに決闘を申し込む。ブリンドンの銃弾はバリーの足を撃った。宿屋に運ばれたバリーは医師に足を切断される。そして年400ギニーの終身年金と引き換えにイングランドから出て2度と戻らないというブリンドンの条件をのみ、レディ・リンドンの前から永遠に姿を消した。
「完膚なきまでに挫折し、打ちのめされ、このよるべなき身に傷心を抱えた男は、その後どうなったのか? 彼は年金の給付を受け、母とともにアイルランドに帰り、傷を回復させた。時折、大陸を旅行することもあったがその後の生涯については知る術もない。賭博師の仕事に戻ったこともあったが、以前のような成功は得られなかった」。
出演者
レドモンド・バリー | ライアン・オニール |
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レディ・リンドン | マリサ・ベレンソン |
シュヴァリエ・ド・バリバリー | パトリック・マギー |
ポッツドルフ大尉 | ハーディ・クリューガー |
バリーの母 | マリー・キーン |
ノーラ・ブレイディ | ゲイ・ハミルトン |
ラント牧師 | マーレイ・メルヴィン |
グローガン大尉 | ゴッドフレイ・キグリー |
クィン大尉 | レナード・ロシター |
ブリンドン卿 | レオン・ヴィタリ |
若きブリンドン卿 | ドミニク・サヴェッジ |
小さなブライアン | デヴィッド・モーレイ |
チャールズ・リンドン卿 | フランク・ミドルマス |
ドイツ娘 | ダイアナ・コーナー |
ウェンドーヴァー卿 | アンドレ・モレル |
フィーニー大尉(追い剥ぎ) | アーサー・オサリヴァン |
グレアム | フィリップ・ストーン |
ラッド卿 | スティーヴン・バーコフ |
ハーラン卿 | アンソニー・シャープ |
ジョージIII世 | ロジャー・ブース |
ナレーター | マイケル・ホーダーン |
制作陣
制作・監督 | スタンリー・キューブリック |
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製作総指揮 | ヤン・ハーラン |
共同製作 | バーナード・ウィリアムズ |
原作 |
ウィリアム・メイクピース・サッカレー 「バリー・リンドン」角川文庫 "The Luck Barry Lyndon." by William Makepeace Thackeray, London,1844 |
撮影 | ジョン・オルコット |
プロダクション・デザイン | ケン・アダム |
アート・ディレクター | ロイ・ウォーカー |
編集 | トニー・ローソン |
映画情報
撮影地 |
アイルランド、イングランド、ドイツ (ロケーション) |
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配給 |
ワーナー カラー ワイドスクリーン(1×1.66) モノラル、184分(休憩含まず) |
米国公開 | 1975年12月16日(MPAA等級:PG) |
日本公開 |
1976年7月3日(配給:ワーナー) |
ワーナー+ホーク・フィルムズ作品
Copyright © 1975 Warner Bros. All rights reserved.
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