Tribute to KUBRICK

関連用語・た行の解説

GLOSSARY : WARD FROM "TA" TO "TO"

ダグラス・トランブル
Douglas Troumbull ( 1941 - )
2001年宇宙の旅』で特殊効果監督としてクレジットされた 4 人のうちの 1 人で、チーム最年少の 23 歳。
米国ロサンゼルス生まれ。 NASA のために宇宙アニメを製作していた会社に、もうひとりの特殊効果監督コン・ペダーソンと二人で勤めていた。 1964 年のニューヨーク万国博の IBM 館で上映されたシネラマ 360 の「月とその彼方へ」 "To the Moon and Beyond" を見たキューブリックが、そこにクレジットされていた二人をスカウト。
2001年宇宙の旅』ではスリット・スキャン・マシンを開発。一躍有名になったトランブルは以後『未知との遭遇』( 1977 )などで特殊効果監督を務めて、 1970 年代の CG 以前の特殊効果を牽引した。

チェス
Chess
スタンリー・キューブリックの特徴。 13 歳の頃、キューブリックは父からチェスの手ほどきを受ける。以後チェスに夢中になり、瞬く間に上達した。
「ルック」を退社して、借金生活の中で映画制作を夢見ていた頃は、チェスで生活費を稼いだほど。先の手を読むチェスの考え方は映画制作にも役立つと言っている。彼のチェス好きは『 2001年宇宙の旅』での HAL とプールなど、映画にも反映されている。腕前はパソコンゲームのチェスの「グランド・マスター・レヴェル」だった。

D ・ W ・グリフィス
David ( Lewelyn ) Wark Griffith ( 1875 - 1948 )
映画監督。 1 月 22 日、米国ケンタッキー州ラ・グレンジ生まれ。
エレベーター・ボーイ、本屋の店員、記者、ビールのホップ摘みなどさまざまな職業を転々とした後、慈善公演の舞台に立ったのがきっかけで地方劇団に参加した。戯曲や詩などを書きながら演劇面での活動を繰り広げるが、行き詰まってバイオグラフ社に映画用のシナリオを売り込むことに成功。いつくかの作品に俳優として出演するうちに、監督も任されるようになった。
13 年の間に 450 本以上の作品を演出、やがて超尺ものとして 12 巻から成る「國民の創生」を 15 年に発表。翌年には不朽の名作とされる「イントレランス」を完成させ、後に“映画の父”と呼ばれることになる。しかし 1930 年代になるとハリウッドから相手にされなくなり、孤独な余生を送ったと言われている。
キューブリックが後年受賞する「 D ・ W ・グリフィス賞」は彼に関連するものとみられる。
1948 年 7 月 23 日、脳溢血により死亡した。
手塚治虫
Osamu Tezuka ( 1928 - 1989 )
漫画家。 20 世紀の日本の漫画文化、アニメーション文化の発展に尽力した人物。
11 月 3 日、日本大阪府豊中市に 3 人兄弟の長男として生まれる。本名・手塚治(てづか おさむ)。治“虫”の由来は、無類の昆虫好きだったことによる。
漫画家、アニメーション作家の他に医学博士でもあり、医師免許を持つ。代表作に「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「アドルフに告ぐ」「火の鳥」など多数。
キューブリックが『 2001年宇宙の旅』制作の際、当時の米国の NBC テレビで「アストロ・ボーイ」の名で公開され大人気を博していたテレビアニメ「鉄腕アトム」で手塚を知り、同映画の美術デザインに招聘しようとした(「ぼくはマンガ家」手塚治虫・著、角川文庫)。手塚もキューブリックのファンだったが、当時「虫プロダクション」を率いる彼は多忙を極めていたために、時間を割くことができなかった(当時の 1 日の睡眠時間はせいぜい 2 時間ぐらいだったという)。結果、“美術デザイン:手塚治虫”の表記は実現せずに終わる。
1989 年 2 月 9 日没。享年 60 才。

時計じかけのオレンジ
A Clockwork Orange
キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら
突撃
Paths of Glory
キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら
トム・クルーズ
Tom Cruise ( 1962 - )
俳優。『アイズ ワイド シャット』に主演。
7 月 3 日ニューヨーク州シラキュース生まれ。ハイスクール卒業後、ニューヨークに出て演技を学ぶ。
『エンドレス・ラブ』( 1981 )の端役で映画デビュー。『タップス』( 1982 )で注目され、『卒業白書』( 1983 )で初主演、『トップガン』( 1986 )でトップスターになる。女優ミミ・ロジャースと離婚後、『デイズ・オブ・サンダー』( 1990 )で共演したニコール・キッドマンと 1990 年に結婚。出演作がことごとくヒットして、新作が公開される都度、人気を確かなものにしている。クルーズとキッドマンは尊敬するキューブリックからの映画出演依頼に快諾、 3 年に渡る記録破りの長期撮影に文句も言わずに付きあったという。
ドルビー
Dolby
音声技術。またそのブランドの名前。人間の可聴全帯域を用いた 5ch と、低音専用の LFE (重低音強調効果)チャンネルの合計 5.1ch の音響の提供が可能な、非可逆型の音声圧縮技術を使った音声記録技術の名称。
( ch とはチャンネルのこと。 LFE は他のチャンネルと比べて約 1/10 程度の帯域しか使わないため「 0.1 」 ch 、それゆえ 6ch ではなく 5.1ch と表現される)
当時エンジニアをしていたレイ・ドルビーが 1965 年に英国ロンドンで設立した(現在の本社は米国ロサンゼルス)会社、ドルビーラボラトリーズ。設立当初から業務用や民生用のオーディオ環境における音質の向上に役立つシステムの開発を行っていた。「ドルビー」の名前が一般にも広く知れ渡ったのは「ノイズリダクション」(ドルビー NR )システムの開発からといわれる。それまで世のオーディオマニアを悩ませてきた高音域の「シャー」というノイズ(雑音)を劇的に軽減させられるシステムだったからだ。
現在でもドルビーデジタル( AC-3 という技術を使用)と呼ばれる最新デジタルオーディオ技術を一般家庭向けに提供するなど、世界のオーディオビジュアル( AV )動向に大きな影響を与え続けている。映画産業だけでなく、雑音軽減機能として CD ラジカセでも広く採用されている。
ドルビーデジタルは独立した 5 つのスピーカー(左・センター・右・左リア・右リア)を用いて音場を形成するため、聴視者の体を包み込むような臨場感ある音を再現することができる。更に、独立したトラックを利用している為、チャンネル間の干渉のない鮮明な音が出せる。
最初にドルビーデジタルが映画館で使われたのは 1992 年。元々劇場向けの技術だったが、 DVD の普及により個人宅でも味わえるようになった。
なお、ドルビーデジタルのソフトウェアは最大で 5.1ch だが、映画によってモノラル( 1ch )あり、ステレオ( 2ch )あり、5.1ch ありと様々である。

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