Tribute to KUBRICK.

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EPILOGUE.

映画監督としてスタンリー・キューブリックが語られる際に、幾つかの言葉が登場することがある。「完璧主義者」「寡作の人」「時代を先取りしたテーマの映画」「巨匠」「変な映画ばかり作る人」……しかしそんな数々の言葉も、彼の人生や生きた時代背景などを辿っていけば、解明への手助けが見えてくるかもしれない。

アメリカの大都会ニューヨークのブロンクスに開業医の長男として裕福な家庭に生まれ、雑誌のキャメラマンという経験を重ねた後に映画監督を志し、資金調達などの苦難の末にモノクロ映画を制作、やがて巨編映画の指揮を執るに至る。晩年は隠匿生活を続けながら、また数々の著名映画監督の目標、憧れの的とされながら、気ままに映画制作を続け、生涯を閉じた。何度か離婚を重ねたものの、最期には愛する妻や子にも恵まれ、亡くなった後はその死を騒がれた。

そして今、少なくともここに1つ、死を悼むウェブサイトが運営されている。


キャメラマンという経歴の賜物か、彼は映画制作において特に、撮影技術、キャメラやレンズの構造やその細部にとても詳しく、独特の美意識を貫いた人だった。制作の時点で存在する全ての技術を駆使して、あるいは新しく技術を開発してまで、驚異の映像を作りだす。「全ての場面がベスト・ショット」とまで称される、どこまでも完璧な色彩、光と影のバランス、構図。それを更に深いものにすべく与えられる物語、音楽。“秒速24フレームの静止画”の作り手 ――映画によってテーマは大きく変わっても、そこで我々が感じるものに共通する“何か”は同じだったはずだ。

初期を別にして、彼の作品制作の間隔は、晩年に近づくほど長くなっていった。モノクロ映画の頃は1年に1本のペースだったのが、後年になると5〜10年ほどの間隔が空いている。もっともその間、遊び呆けていたのではなく、次回作となる映画の原作小説を探して本を読み耽ったり、脚本を仕上げたり、あるいはとても長い時間をかけて英国の名門パインウッド・スタジオで撮影をしていたり、あるいは撮り終えたフィルムをつなぎあわせる編集の作業をしていた。実際、撮影よりも編集のほうがずっと長く時間を費やしていたかもしれない。

1本のフィルムが無事に完成しても、そこから更に映画配給会社が世界中の劇場で上映することになると、日本のように文化や言語の違う国で上映の際は、当然ながら字幕を使用することとなる。あるいは宣伝用のチラシだって配布することになる。それらのデザインはどうか。字幕は誤訳されていないか。作品の世界が正しく伝わっているか。彼はそういったひとつひとつの細かい細部を丹念に点検していき、問題があると判断した場合はいくらでもやり直す。あるいはやり直しを命じる。一切妥協をしない。納得いくまで仕上げていく。これがキューブリックのやり方だった。寡作になるわけである。もし100歳を過ぎて亡くなったとしても、それでもたぶんあと数作しか遺せなかっただろう。


彼の映画は、初期を別にして、既存の小説を基に映画化しているのが特徴といえる。

SF 、ホラー、古典、などジャンルが違うが、アーサー・チャールズ・クラーク、スティーブン・キング、ウィリアム・サッカレー、アルトゥル・シュニッツラーなど、それぞれの分野の文豪、大家による代表作がズラリと並ぶ。題材に選ばれる原作小説の質の高さに加えてキューブリック独特の映像、撮影技術、そして手間をかけた制作、編集である。発表される度に映画は賛否両論を呼んだ。評論家は彼の過去の作品などとの類似点、あるいは違う点を挙げ、キューブリックが作品に託した内なる題材を紐解こうと試みた。

キューブリックは、“世捨て人”とまで囁かれるほど、マスコミや表舞台との干渉を避ける人だった。「彼がどんな人であるか」を知りたい人達は、世界の至る所で、彼についてあることないことをまことしやかに噂した。彼の遺族がそんな誤解を解こうと立ち上がったのは、彼の死後のことである。

彼の仕事の流儀は、“時代を超越して人々の心に訴えかける作品を世に送りたい”という意図のものとしては最短時間で済む方法だったかも知れないが、現在の、たとえば米国のハリウッドなどに見られる映画制作の段取りと比較すると、やはり過去のものになりつつあるのかもしれない。

映画という媒体は19世紀にフランスで活動写真として誕生し、後に同国によって芸術の1つと認められた。そして今や、知的財産権が複雑に絡む “ソフトウェアとしてのビジネス・ツール”として扱われている。製作費も興行収入も昔と比べて市場の規模は桁違いに拡大したかもしれないが、感性や芸術性が必ずしもそれに比例しているかどうかは明言しかねる。いつも斬新なまでの美しい映画で観客に問題提起をしてくる。公開から何年経っても語り継がれる。寡作の人。そんな人は彼が亡くなった今、もう簡単にはこの世に現れないかもしれない。

キューブリックの映画は綺麗なだけで内容がない。退屈。映画作りが下手。時代遅れのただの爺として死んだ。昔の人――そんな意見もある一方で、難解、巨匠、マエストロ(指揮者を称賛する意味で使われる音楽用語)という評価も根強い。そんな彼の映画の大半は今、レンタルビデオなどで簡単に借りられるし、あるいは DVD でも販売されている。現金と時間さえあれば、観賞するのは容易いことと思う。


当サイトで紹介した内容は、キューブリックを物語る要素のごくわずかに過ぎない。もしも興味が湧いたならば関連サイトを巡るか、あるいは作品を直接ご覧になれば、それぞれの映画の映像が、音が、瞬間が、何よりも確実なキューブリック・タイムをあなたに与えるはずだ。どれを先に観るのも全くの自由。

彼は故人となってしまったが、遺された作品を鑑賞して、めくるめく謎に自分の知識や感性を試してみてもいい。観客にそういった体験をして貰うことこそ、きっと映画監督としての彼が望んだこと。時間を超越して我々ができる最良の弔いだと、私は考える。

形あるもの、生命あるものは、いつか必ず滅びる。しかし優れた芸術はいつまでも人々の中に受け継がれ、生き続けるのだから。

改めて、キューブリック氏の死を悼みたい。


ここまでご覧くださいまして、ありがとうございました。


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