Tribute to KUBRICK.

https://filmmaker.web.infoseek.co.jp/

Since March 7th, 2004.



PRODUCTION NOTE.

運営にあたっての考え方

当サイトは、映画監督スタンリー・キューブリックを追悼し、その人となりを讚えることを第一の主題としています。個人で運営しているものであり、運営にあたり、自己満足以外に、得る利益は一切ありません。むしろ著作権料やサイトの維持費など、ある程度のお金をかけています。

当サイトは、主題としている人物について全く知識のない方がご覧になっても、最低限のことが把握できるように情報を構成しています。したがって、複数の異なるページに、全く同じ情報を記載している場合があります。知っていながらも「初心者向けではない」と判断して、わざと掲載していない情報もあります。キューブリック氏の死因について、参考とした資料には「心臓発作」と記されているのですが、公式な情報(遺族によるもの、映画会社によるもの)は今もなお「明らかにされていない」とあるため、死因については明言を避けています。

「追悼」が前提なので、派手な色遣い、デザインは極力避けています。できるだけ地味に、単純になるようにしています。ハイパーリンクの文字の色も、同じ理由から、可能な範囲内で操作しています。


キューブリックのサイトを立ち上げようと思った初めの頃、参考のために、幾つかの私設サイトを見てまわりました。その時に思ったのが、サイトの多くが、「キューブリックについてある程度の知識を持った人が見ている」ことを暗黙の前提にしている感じがする、ということでした。玄人好みの素材を揃えている感じはするのですが、つい最近キューブリックについて知り興味を持った人には、やや敷居が高いのではないか。そして映画紹介や感想などを吐露する枠はふんだんに設けているのに、彼の氏を悼む記述はほんのわずか。人の死ってこんなものなのだろうか。――そんな思いを抱いたこともあり、当サイトは「初心者向き」「追悼」を全面に出し、また、可能なかぎり、操作やデザインを単純化しています。極端な話、「マウスをクリック」という言葉の意味が分かる人なら、当サイトで迷うことはあんまりないと思います。その思いから、サイトマップは設けていますが、操作ガイドは用意していません。

私は、自宅では Macintosh を主に使っています。 Macintosh を10年近く使用してきた私なりの考えを述べると、操作もデザインも、可能なかぎり単純にすると、新しさがなく見栄えも冴えない代りに、決して古びない印象を与えるものだと思います。マックユーザーの意地がある、というわけでは決してないですが、まず、何よりも単純で分かりやすいデザイン、操作を念頭に、内容を構成したつもりです。

設立当初は、パソコン、ソフト、その他を含めた全てが、溜め息をついてしまうような粗末な制作環境でした。いろんな意味で本当に手探りでした。その怪我の功名というわけでもないですが、サイトのデータの軽さ、操作性の単純さだけは、今でも自信があります。数えきれないほど、様々に労苦を重ねたからです。

操作の利便性、視覚的な操作の分かりやすさを自分なりに求めてきた結果、現在では xhtml と css をたくさん使っています。これにより一部、旧式のパソコンやブラウザでは表示に不具合が出る可能性がありますが、ご理解いただければと思います。一般に使われている多くのパソコンで、普及率の高いブラウザソフトを使うという条件のもとであれば、当サイトは、ほぼ問題なくご覧になれるはずです。

The W3C Markup Validation Service 」「 Another HTML-lint gateway 」の2点は、サイト作成の「ソース」が文法的に正しいかどうかを判断するサイトです。文法的に正しいサイトは、管理が楽になるのと、 OS やブラウザが違っても、著しく表示が崩れないという利点があります。また、検索エンジンにひっかかりやすくなるという特性もあるらしく(一般に SEO と呼ばれる効果です)、できるだけ、気をつけています。


文章の中で「笑」その他、喪の雰囲気に相応しくないと思われる表現は、できるだけ避けています。キリスト教と仏教(あるいは神式)では、宗教観の違いの問題もあり、どういった表現が妥当なのか判断に迷う時があります。たとえば「ご冥福を祈ります」という言葉。これは仏教の概念から来る言葉であり、死生観が異なるキリスト教の考えの中では、かえって死を冒涜してしまう恐れがあります(ちなみに「安らかにお眠りください」がキリスト教での模範的な文言らしいです)。私は当サイトの中で「弔い」「死を悼む」と書いていますが、これもひょっとしたら……と思います。でも他に適切な表現が思いあたらなかったので訂正していませんが。

管理人の私が横文字嫌いだから、ということもあるのですが、全体を通じて、文章中に横文字はできるだけ使わないようにしています。ただ、見出しやサイトの題名にアルファベットを使っていることについては、デザインの一部と割り切っています。


別のページで詳しく述べていますが、当ウェブサイトに掲載している画像、情報、 MIDI データなどで第三者に著作権などが帰属するものは、全て許諾を得た上で使用しています。それらのものを使いたい時、私には許諾権限がありませんので、権利保持者に直接、許諾請求をして下さい。

このサイトについてご意見などがあれば(特に「表示がおかしい」「リンクがつながらない」などの不具合報告、「こんな題材を取り上げて欲しい」など)、ぜひ、メールでお知らせいただければと思います。できる範囲で参考にさせていただきます


以下、当サイト誕生から、現在に至るまでを記しています。

第 I 期:きっかけ ――1999年

彼が他界した1999年の3月。当時私は都内にある専門学校の生徒であり、 DTP ( Desk Top Prepress の略で「机上編集」の意味)という、パソコンの画面で書籍の編集を行う技術を学んでいました。

今やパソコンは世界中で Windows が絶対的な地位を占めていますが、 DTP の世界は、様々な技術的な事情(フォント、色の性質、データ互換など)で、 Apple 社の Macintosh (マッキントッシュ)が今も独擅場らしいです。初めに触れたパソコンであることもあり、 DTP を離れた今も Macintosh に縁があります。

彼の死は当時テレビや新聞で報道されましたが、映画評論家は、どの方も、どの媒体でも、異口同音に「不謹慎は承知だが、新作が完成した後で亡くなってくれて良かった」という弔辞を寄せていました。

当時の私は、キューブリックという映画監督について、“名前を知っている”程度の認識しかありませんでした。どんな評価をされた人か、どんな作品を遺したか、どこの国の人か、年齢はどのくらいか。本当に、殆ど何も知りませんでした。しかしそんな無知な私にさえ、キューブリック氏の死に対する識者の意見が、すごく異質なものに感じられました。“不謹慎は承知だが”――著名人の訃報は時々みかけますが、通常の弔辞とは、明らかに趣きが違って感じられたのです。

どの記事でも、キューブリックを語る上で使われた、幾つかの言葉がありました。「完璧主義者」「新しい技術を積極的に取り入れた」そして、「今夏に、遺作となった映画が公開される予定」。私は不思議とキューブリックに魅かれ、同年夏に公開された映画『アイズ ワイド シャット』を劇場で観賞しました。


記憶に間違いなければ、同時期に上映していた映画『ライフ・イズ・ビューティフル』を見た後、はしごするように劇場から劇場に渡りました。『アイズ ワイド シャット』の看板は紫色をメインカラーにしたキスシーンのデザインで、繁華街の中でも目立つほうでした。職員の方が「 R 指定」「キューブリックの遺作」「ちょうど本編が始まります」と拡声器でアナウンスしていました。視覚と聴覚への刺激。それで足が向いたのです。加えてその日は映画サービスデーの日、つまり1,800円の料金が1,000円になる日でした。

たまたま、上映が始まるタイミングが合ったから。たまたま、目についたから。そしてたまたま、料金が安かったから。つまりは偶然の一致です。このことを思い出す度に、キューブリックの映画を見る行為が、いかに「どうでもいい」範囲だったか分かります。

私が足を運んだ劇場は、「新宿ミラノ座」という名の、新宿コマ劇場向かいに位置する、大きな洋画系の建物でした。館内では本編が始まる前、話題映画の宣伝の1つとして、マトリックスの予告編が流れていました。前述の「ライフ・イズ・ビューティフル」といい、「マトリックス」といい、他にあった話題作も含めて、1999年という年は映画の当たり年だったなと今でも思います。そして映画本編。……正直な話、鑑賞していて、長い映画だなと感じました。しかしながら、(美男美女が出ていることもあるのでしょうが)映像の美しさが圧倒的でした。ただ、こちらは猛暑の繁華街を歩いてきて、冷房の効いた館内で観ているのに、劇場の銀幕に映し出されるのはクリスマスのニューヨークの映像。登場人物は当然、マフラーやコートを羽織っているし、おまけに白い息を吐いていたので、すごく違和感がありました。

映画のラストで、主演女優がセリフをひとこと言って映画は終幕。暗転した画面に白く大きなアルファベットの文字。スタッフロールが流れだしました。その時に客席がわずかにどよめき、そばにいた女性が「あーん、難しい」と頭を抱え、そばにいた男性に肩を寄せていたことを覚えています。別のカップルは「あの人があの時どこどこの現場に行ってナニナニをして……だからあのシーンにつながるんでしょ?」と物語を言葉で振り返り、内容の確認をしていました。

謎めいた得体の知れない美しい何かに触れたこと――私のキューブリック履歴は、たぶん、この辺りから弾みをつけたのだと思います。


あとは簡単でした。その時買った映画のプログラムの後半に、 TRIBUTE TO KUBRICK と銘打った、彼の過去の映画を紹介するページが設けられていたので、それを通じて過去の作品の題名を知り、レンタルビデオで見ました。夏から冬にかけて、幾つか関連書籍も併せて読み、初心者に毛の生えた程度の知識を身に付け、私は得意になりました。彼は経歴の長さの割に発表している作品が多くないなので、お金のない学生の私でも、全ての作品をレンタルして見ようかなという気になれたのです。作品の数が、もしも倍あれば、たぶんそこで興味は途切れていて、このサイトも生まれなかったでしょう。

前述のとおり、 DTP の技術を学校で学んでいたため、校内には当然、プリンタやスキャナなど機材がありました。市販されているものよりも高精度で高価で大きなものです。私は誰に見せるわけでもないキューブリック特集の小冊子を作ることに熱中し、ひとり悦になっていました。それは今も捨てきれずに手元にあります。

第 II 期:ウェブサイト設立 ――2002年

彼の死から数年ののち、私は学生でなくなりました。

よく覗きに行く個人の私設サイトが見栄えよく更新されたので「プロの制作会社に依頼したのですか」と尋ねたら「プロどころか、手書きです(笑)」という返事を貰い、衝撃を受けました。というのは、相手が、自分とは親子ほど年の離れた女性だったからです。“手書きでサイトを作る”――これまで考えもしなかったことですが、急に、自分にもできるかもしれないと思い、個人のウェブサイトの運営を始めました。

当時、持っていたパソコンが古く( Mac OS 8.1 )、対応しているホームページ作成ソフトに実用的なものがなかったので、私には手書きでサイトを書く以外に選択肢はありませんでした。ただ、それが今も続いているので、サイトを作るのにホームページ作成ソフトを使ったり、それに対してお金を払う概念が、未だにありません。


趣味のサイトは、 URI やサイト構成を変えながら、右往左往しながら、こことは別に現在も続いています。その中で、お勧めの人物や映画や書籍などを紹介するページを設けていて、そこに当初スタンリー・キューブリックを加える予定でした。学生の時に得た情報があり、それをそのまま生かせればと思ったのです。しかし他の人物に比べてキューブリックは把握している情報が多すぎました。いっそウェブサイト内に、人物紹介から独立したページを別枠で作ろうかと思ったのですが、あくまで趣味でやっているサイトであり、一介の映画監督なんかのためにそこまでして場所を割くなんて嫌だ――でも学生時代に得た情報を無駄にはしたくない――出した結論が、全く新しくウェブサイトを別に作る、というものでした。今思えば、一番面倒くさいやり方でしたね。


性格の曲がった私らしいなと今さらながら思いますが、 URI の綴りを考えた時、キューブリックの名前を入れるのだけは絶対に嫌だな、というのが第一にありました。理由はうまくいえないのですが、とにかく、絶対に嫌でした。結局ウェブサイトの題名と URI の綴りが一致しないものになり、それについては訪れてくれる方に不便で申し訳ないかもしれないと思いながらも、フィルムメーカー(映像作家)という名前のついた URI にできて良かったと、今は思っています。

ちなみに当サイトのロゴマークについて、現在(2006年7月〜)は統一して「 Tribute to KUBRICK. 」ですが、初期は「 Tribute to Mr. KUBRICK. 」と綴りを若干変えていました。そのため、2006年7月以前に、当サイトへリンクを張っている他のサイトには、 Mr. の文字が入っているのもあると思います。でもこれは今となってはあんまりこだわりがないので、もし今後も Mr. つきの名前のリンクが見つかっても、たぶん意見などはしないと思います。


当初は、 Tripod (トライポッド:三脚)という無料ホームページサービスの場所を借りて運営していました。無料だったので、広告のポップアップウィンドウが常についていました。当時のこれを見たことがある人はほとんどいらっしゃらないと思います。(それともどこかのデータベースのキャッシュに残っているかな?) サイトを手書きで制作するのは今も当時も変わりないのですが、当時のサイトのデザインは、無駄が多くて(タグの綴りを間違えていたり、画像が半端に容量を取って枷になっていたり)すごく幼い作りでした。手書きという同じ手法で、同じ人間が作ったのに、当時に比べれば今は随分とマシな作りになったと思います(当時のサイトの第1ページの画像を本当はここに載せたいのですが、映画やキューブリック当人の画像について、権利問題に引っ掛かる可能性があるので、掲載を自粛しています)。


サイトの改装や増築を何度か繰り返しましたが、やがて最大の転機が訪れました。サーバの提供元の事業統廃合により、 Tripod が消滅する(親会社の楽天株式会社の運営する infoseek に吸収合併)ことになってしまったのです。サイト運営を続行するにあたり私には選択肢が3つありました。そのままアドレスを一部変えて、広告が入ってしまうものの無料サイトのまま再出発を切るか、あるいは、やはりアドレスは変わってしまうが有料のサービスに切り替えて、データも移行して新しく再出発を切るか。そして、サイトを閉じてしまうか。

私は結局、有料のサービスに切り替えて、運営を続行する道を選びました。

第 III 期:再出発(無料から有料へ) ――2003と2004年

どの会社の有料ホームページサービスを利用するか散々悩んだ揚げ句に、現在のインフォシークに決めました。

有料にすることで、いろいろと登録せねばならない事務手続きの作業がはじめにあり、それはそれで面倒でしたが、それを終えると、いろいろと自由や可能性を感じることが多いように思います。お金が絡んでからは、無料のサービスで作っていた時と違って、段違いに様々なサービス(広告がつかない、扱える容量が劇的に増える、エトセトラ)を利用できるので、大きな強みです。ただ、その内の幾つの機能を実際にフル活用できているかは大いに疑問ですが。まあ、活用できていない現実を実に勿体ないと思う反面、サイトの充実がまだまだ無限に狙える証拠とも思っています(新たなサービスの1つとして、メールフォームを利用できるようになったことが、個人的にはすごく嬉しかったです)。

無料のホームページから現在の有料の広告非表示のホームページにアドレスを移したのが2003年10月。その時は、内容をただ単にコピーしただけでしたが、アドレスを変えるのを1つの節目として、中身の体裁を大幅に整えようと試みました。具体的には、(専門用語っぽい横文字ばかりで申し訳ないのですが)スタイルシートを全面に使い、ディレクトリの構成を可能な限り単純になるように心がけました。どういう風に変えようか、6ヶ月間、いろいろと試行錯誤を繰り返しました。また、映画会社などに問い合わせたうえで、知的財産権問題も解決したいと思いました。そういった1つの峠を越えて、新しく再出発したのが2004年3月……その意味も込めて、当サイトのコピーライト表示は、2004年にしています(西暦表示は2004のままで続ける予定です)。


第 IV 期:周知 ――2004年3月から2005月3月にかけて

2004年3月、改装して間もなくの頃、 Yahoo! JAPAN にサイト登録を自薦申請したところ、数日で何の問題も無く登録されました。 Yahoo! JAPAN への申請受理は「奇跡といっていいほど不可能に近い」「東大合格より難しい」と囁かれていますが、私の場合、あまりにも呆気なく登録されてしまったので、有り難みがありません。登録された翌日には、いきなりアクセスが5000を突破しました。自分でウェブサイトやブログを持っていて、アクセス解析を備えている人ならば、この数字の意味が分かると思いますが、個人ベースのサイトで4桁のアクセスというのは自慢できるものだと思います。“ Yahoo! 神話”を実感しました。ただ、嬉しさよりも、自分のサイトが完全に周知のもとにさらされ、手の中から離れてしまった気がして、怖かったのを覚えています。他人に見られて困るものを発表しているつもりはないのですが、何かミスや誤字脱字がなかったかどうか、今さらながら気になりました。それからは桁がガクッと下がりましたが、初期に5000を突破した事実は励みでした。

Yahoo! JAPAN に登録されて間もなく、こちらも大手で、申請受理が難関といわれる大手サイトのオールアバウトジャパン、その映画部門に自薦したところ、何の問題もなく登録されました。やはり有り難みがあまりありません。しかしこの2大サイトに正式に登録されているためか、他の大手の検索サイトにも候補として芋づる式に引っ掛かるようになり、開設から1年で大抵の検索サイトで見つけられるようになりました。これについては、地味で素っ気無いサイトながら、我ながら、誉めてやりたいところです。今までに幾度も「面倒くさいから閉鎖しようかな」と考えるのですが、その都度、思いとどまる理由の1つが「いろんな人に認めてもらえたんだから」という、この事実です。

2004年3月にリニューアルしてからは、同年9月に1度更新し、2005年3月に2度目の更新をしました。

そして、ほとんど誰も書き込まない(年に数回あるかないか)ので、掲示板も廃止しました。

第 V 期:サイト全体のリニューアル ――2006月7月現在

掲示板も廃止した頃、世間でブログが流行し始めました。自分で手書きでサイトを作っているせいか、他人のホームページをお邪魔すると、そのサイトのソースを除く癖があるのですが、これと更に同じ時期に、 Web 標準という概念も聞くようになりました。インターネットのサイトの設計図にあたる「ソース」は、 W3C という国際的な団体によって、世界共通の文法があらかじめ決められていますが、これに忠実に従っている、つまりは教科書通りに作られたサイトのことを概ね、 WEB 標準というらしいです。

当サイト、前述のとおり、 Yahoo! JAPAN では簡単に検索にひっかかるんですが、インフォシークと Google においては、あまりひっかかりません。理由は幾つかあるかもしれないのですが、 Web 標準に基づけば、 Google に引っ掛かりやすくなるかもしれない、というのをネットのどこかで見ました。

加えて、数年来サイト運営を続けているうち、利用者の大半が、当サイトを、資料集のように扱っているかもしれない傾向をつかんできました。アクセス解析を辿っていると、そう考えたほうが自然な流れなんです。「故人を偲ぶ」という趣旨から外れてしまっていますが、さすがに閲覧者に喪を強制するのもどうかと思い、ここは許容しています。

それでだいぶ悩んだ結果、サイトの構造そのものを初めから考え直し、「 WEB 標準」「資料集」どちらの観点から見ても、より閲覧者に分かりやすく、運営している私本人にも管理のしやすい方法がないかと取り組んだのが今回の結果です。「 xhtml ( strict ) + css 」化を目指しました。


従来までは、まずトップページがあり、それをクリックして初めてサイト本体が現れました。それをやめました。

次に、サイト本体も、画面上と下が固定されたメニュー画面で、真ん中部分だけが次々に切り替わる、画面分割機能を採用していました。それも今回やめました。

全てのページを、ウェブサイトの文法チェックのサイト(「 The W3C Markup Validation Service 」「 Another HTML-lint gateway 」)にかけて、エラーがないかどうか調べました。

大変でも難しいわけでもありませんでしたが、全てのページをはじめから書き直したので、面倒くさかったです。私の技術では今は、これが精いっぱいです。でも少しスッキリしました。これでしばらく様子を見るつもりです。

改めて、当サイトについて

当サイトは Yahoo! JAPAN にカテゴリ登録されているためか、ヤフー BB 会員と思われる方からのアクセスが多く目立ちますが、全国の大学(誰でも知っているような一流大学からは全てアクセスがありました)や公共機関からのアクセスも、なぜか目立ちます。理由は分かりませんが、畑違いとしか思えない大手企業からのアクセスや、海外の大学、果ては米海軍からのアクセスまでありました。一番嬉しかったのは美大からのアクセスです。

なんで学術機関からのアクセスが目立つのかは正直いって理解に苦しむところもありますが、私自身も学生時代にキューブリックを知ったので、「学生時代に誰もが1度は経験する一種の通過儀礼みたいな意味を持つ監督なのかも」と結論づけています。ただ、映像学科とかならまだしも、医学部など畑違い過ぎる学科からのアクセスログを見つける時はさすがに首をかしげますが。……でも見てくれたことは、やはり嬉しいです。

どの方も「 OS は Windows 、ブラウザは InternetExplorer 」の組み合わせが圧倒的に多いです。7割ぐらいがこのパターン。たまに Macintosh や Opera (ブラウザの一種)を見つけます。また、ごくたまに Windows CE や DreamCast 、 ezweb をご利用の方をみかけます。すごいなあと思いますが、たぶん、満足には閲覧できていないと思います。


他の個人のサイトでリンクを貼ってくださり、そういった方面からいらっしゃる方の跡もたまに拝見します。が、悲しいかな、リンクを貼ってくださるのは歓迎すべきこととして、リンクした事実を報告してくれる管理人や企業の方はごく稀です(まず9割方は連絡してくださいません)。どの方もすごく好意的にリンクを貼って下さっているので苦言を呈する想いはないのですが、報告してくださればより良い関係を互いに築けるのにと思うと残念です。“追悼”サイトを運営する者の宿命なのかもしれないですが、時折、この状態がこのまま続くのかなあ、と不安になる時があります。たとえば、サイトのデザインを地味なままにすること。……まあ、これは許容範囲ですが、そのせいか、サイト全体がどうしても活気のないものとなっていて、アクセスはそこそこあるのに、それこそまるで死んだような存在だなと思うことがあります。故人を扱っているためか、どうしても、懐古主義っぽい雰囲気になるのも否めません。また、サイトを眺めただけで満足される方が多いのか、以前設置していた掲示板にも殆ど書き込みがありませんでした。1000を越えるアクセスの時も、全く書き込みがなく、荒らし行為さえないので寂しかったです。


2006年7月現在、全面的なリニューアルを何とか終えたので、悲願である Google でのヒットにつなげたいです。ヤフーとオールアバウトを簡単に味方につけてしまうと、欲が出てしまい、 SEO 対策に執着するものです。サイトを初めてから幾度となく「面倒だから閉鎖してしまおうか」と思っていたのですが、「完全な「 xhtml ( strict ) + css 」化を目指す」ことについては、久々にサイト作成の熱が出ました。ロゴマークまで変えたのは何年ぶりでしょう。

ただそれとは別に、今回作業を無事に終えたので、微調整は別の話として、2年ぐらいは放置していたいです。

もともと飽きっぽく、おまけに理工学系の知識や技術に縁のない私が、ホームページ作成ソフトも使わず、完全な手作りで始めた気まぐれサイトです。いろいろと時間も手間も掛かるのに、ここまで持ってこれたのは、「今までやってきたんだから」という意地があるのもあっただろうし、キューブリックやその映画について、そんなに詳しくないのにもかかわらず、惹かれたというのもあったと思います。上に記した、様々なサイトで紹介されるようになった、ということもあります。でも何より大事なのは、肩の力を抜いて、時には放置して、気長にやってきたことだと思います。ウェブサイトもブログも、作るのは簡単だけど、継続させるのが難しい、とよく聞きます。具体的に言うと、新しいウェブサイトの8割は1年も持続せずに消滅するらしいです。その中、このサイトは2年を越えたので、大したものだと思います。あんまり更新しなくても手抜きに見られないのも得な部分でしょう。

初めにも触れましたが、気楽だった学生時代にキューブリック映画を知ったので、どうしても好意的な、ある種(世間におけるキューブリックの知名度とは別の意味で)ブランドに近い印象が私の中にはあります。また、別のページで述べていますが、キューブリック氏と以前付き合いのあったヴィタリさんとメールでやり取りできたのも非常に大きかったです。しかし白状すると、こういったサイトを運営していますが、知識には正直いって自信がありません。そして全てのキューブリック作品が好きなわけでは決してなく、本編を観ている内に眠くなってしまい、未だに全編を完全には観ていない作品もあります。サイトの運営は、今は半分、惰性の気持ちでやっています。それが余計に「サイトを閉鎖してしまおうか」という思いを、たまにかきたてます。

――でも、何より、いろいろなサイトにお勧めとして登録されたこともあり、連日、たくさんのアクセスがあること。それが何よりの励みです。2005年には、大手サイトの「オールアバウトジャパン」より賞の候補に選出していただき、感無量です。文字ばっかりで地味なサイトですが、暇な時間でかまいませんので、たまには弔問にいらしてください。


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The unofficial website for mourning about Stanley Kubrick, the film director.

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"Tribute to KUBRICK."


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