Tribute to KUBRICK.

1999年に他界した映画監督スタンリー・キューブリック追悼サイト。

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WORDS.


キューブリック監督に関連した言葉について補足説明します。


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  4. 映画は主に『○○』(××)で表記。『  』で題名を、(  )で発表年を表示。

ヴァージニア第7騎馬電撃隊 The 7th Virginia Cavalry Raiders
1957年初め、『現金に体を張れ』を見て感心したウィリアム・ワイラー(映画監督。代表作に『ローマの休日』(1953)『おしゃれ泥棒』(1966))とグレゴリー・ペック(映画俳優。代表作に『ローマの休日』(1953)『ナバロンの要塞』(1961))が、ハリスとキューブリックに会った。その際にペックが『突撃』の脚本に興味を示すが、売れっ子の彼は18ヶ月後でないと時間の調整がつかなかった。ペックはまた南北戦争中に大活躍した南軍の将軍ジョン・シングルトン・モスビーを題材にした映画をハリス=キューブリックに提案した。キューブリックが脚本化にとりかかるが、カーク・ダグラスが『突撃』に出演することが決まり、ペックとの企画が中止になる。
パインウッド・スタジオ Pinewoods Studio
英国の首都ロンドン郊外にある、欧州の中でも有数の規模を誇る名門の映画スタジオ。英国の諜報部員の活躍を描くスパイ映画『007』シリーズの撮影でも知られている。70年以上の歴史があり、200エーカー(1エーカーが約1,224坪、サッカーグラウンド1つ分)以上の広さがあるという。
キューブリックの映画の幾つかは、このスタジオで撮影された。
博士の異常な愛情 Dr.StrangeLove
キューブリックが監督した映画作品。
パトリック・マギー Patrick Magee
英国の名優。『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』に出演。
1922年3月31日、北アイルランド、アーマフ生まれ。王立演劇アカデミーで学び、1957年に初舞台を踏んだ後、英米の数々の舞台に立って俳優としての地位を確立。ベケットの「クラップ最後のテープ」(1958)は彼に演じてもらうために書かれた。トニー賞も受賞している。
映画は『コンクリート・ジャングル』(1960)でデビューの後『トロイアの女』(1971)『戦争と冒険』(1972)などの一流作品に出演する一方で、ロジャー・コーマンやルチオ・フルチの低予算作品に多数出演した。
1982年8月14日、死去。
バリー・リンドン Barry Lyndon
キューブリックが監督した映画作品。
1975年(日本公開1976年)、アメリカ、ライアン・オニール、カラー、モノラル、184分(休憩含まず)
ハリウッド Hollywood
米国カリフォルニア州ロサンゼルス市北西部の地区の名前。映画撮影所が集中し、世界的な映画の都として知られる。「聖林」と表記する場合もある。

ピーター・セラーズ Peter Sellers
1925年9月8日イングランド、ハンプシャー州サウスシー生まれ。英国のコメディアン。
第2次世界大戦中は英国空軍に入り、インド戦線で演芸団の人気者だった。戦後、芸人となり、ラジオ、テレビ、映画に出演して1950年代半ばには英国での人気が絶頂になる。変装、他言語の芸は『ロリータ』のクイルティ役、『博士の異常な愛情』の3役を演じたキューブリック映画でも最高の成果を発揮。
結婚歴は4回。1951年に女優アン・ホウと結婚し一男一女をもうけた後1964年離婚(この時の訴訟が『博士の異常な愛情』撮影の頃と重なる)、同年に 22歳の女優ブリット・エクランドと結婚、一女をもうけて1969年に離婚。1970年に23歳のミランダ・クァーリーと結婚するが1974年に離婚。 1977年、23歳の女優リン・フレドリックと結婚。
1980年7月24日、英国ロンドンで心臓発作で死去。
フィルムメーカー Filmmakers
1970年代の米国映画で改めて新世代の映画監督が注目され、フランシス・コッポラやジョージ・ルーカスなどが台頭した頃からよく使われるようになった言葉。
また、映画の作り手として、監督に限らず自分で脚本を書き、時にはプロデュースもする総合的な映画作家という意味も込められているという。
当サイトで挙げているキューブリックは、後者の意味で該当する人物といえるだろう。
非情の罠 Killer's Kiss
キューブリックが監督した映画作品。

ブルー・ムービー Blue Movie
『博士の異常な愛情』の頃、テリー・サザーンはキューブリックの家でハードコア・ポルノを上映したことからヒントを得て、小説「 Blue Movie 」を書き始め1974年に出版。内容はキューブリックとおぼしき天才監督が、人気スターを使ってハリウッド映画初の大予算のハードコア・ポルノ映画を作るというもの。
一応キューブリックも検討したらしいが、妻のクリスティアーヌに「これを映画にするなら2度と口を聞かないわよ」と宣言され中止。
フルメタル・ジャケット The United States of America.
アメリカ合衆国。首都ワシントン DC 。
面積:371.8万平方マイル(日本の約25倍)、人口:2億8142万人、言語:主に英語(法による定めはない)。

ポーリン・ケール Pauline Kael
米国の女性映画評論家。1919年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で哲学を学ぶ。1953年、チャップリンの『街の灯』についてサンフランシスコの雑誌に書いたのが映画評論を書いた最初。1955年から1960年代初頭まで2館のアートシアターの運営を任され、プログラムを自分で書いた。1965 年、初の映画評論集「私は映画でそれを失った」 " I Lost It at the Movies " がベストセラーとなり、ニューヨークに住まいを移して有名誌に書くようになる。1968年からは「ニューヨーカー」誌の映画評を担当、1990年まで健筆するが引退。2001年9月4日死去。
キューブリック作品に対しては否定的。『ロリータ』あたりの俳優の演技中心のものは評価しているが、近年の映像技術中心のものは“人間の内部を描いていない”と酷評である。
例:『2001年宇宙の旅』想像力のなさで記念碑的な映画、『バリー・リンドン』美術史の3時間のスライド・ショーに出席するほうがマシ、『フルメタル・ジャケット』彼(キューブリック)の最悪の作品、などなど。

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Latest Update : March. 7th. 2007.

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