Tribute to KUBRICK

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開始前夜から2010年7月現在に至るまで

2020年08月26日

1999年から2010年までの歩みを紹介します。

本格的な運用開始となった2004年も、途中で登場します。

非常に長いです。

序章 Tribute to KUBRICKの誕生から現在に至るまで


Tribute to KUBRICK(トリビュート・トゥ・キューブリック)は、1999年3月に他界したスタンリー・キューブリック監督へのサイトです。追悼の意、敬意を表わす気持ち、初心者向けの入門編、この3つが基本理念です。映画の謎解きなどの玄人向けの話題はあまり触れていません。

個人で運営している非公式のサイトです。運営にあたり、著作権使用料やサイトの維持管理費などに予算を投じています。

主題するスタンリー・キューブリック監督を知らない人が閲覧しても、最低限のことが把握できるように情報を構成しています。

2004年に本格的な運営を開始しました。


キューブリック監督のサイトを立ち上げようと思った初めの頃、参考のために、他の人が運営するいくつかのキューブリック関連のサイトを見て回りました。その時に感じたのが、圧倒的多くのサイトが、キューブリックについてある程度の知識を持った人が見ていることを前提に作られた感じがすることでした。玄人好みの素材を揃えている感じはする一方で、つい最近キューブリックについて知って興味を持った人には、やや敷居が高い内容と思えました。そしてサイトの制作者による映画紹介や感想などを吐露する枠はふんだんに設けているのに、彼の死を悼む記述はほんのわずかでした。「人の死ってこんなものなのだろうか?」。そんな思いを抱いたこともあり、「初心者向き」「追悼」を基本にしています。そして可能な限り、操作やデザインを単純化しています。「マウスをクリック」という言葉の意味が分かる人なら、このサイトで迷子になることはないと思います。


私は、プライベートでは長らくMacintosh(マッキントッシュ、略してMac)を使っています。iPhoneなどで知られるApple社のパソコンのブランドです。1997年の暮れから使っています。

Macを長年使用してきた自分なりの考えとして、操作もデザインも色使いも、可能な限り単純化すると、新しさがなく見栄えも冴えない代りに、決して古びない印象を与え、誰にでも馴染みやすいものだと思います。

Macユーザーの意地がある、というわけでは決してないですが、何よりも単純で分かりやすいデザインや操作を念頭に、内容を構成するようにしています。

設立当初は、パソコン、ソフト、その他を含めた全てが、粗末な制作環境でした。いろんな意味で本当に手探りでした。その怪我の功名というわけでもないですが、サイト全体、ページそれぞれのデータの軽さ、操作性の単純さは、性能の高くない動作環境でもそれなりに動くよう配慮する必要があった状況で始めたこともあり、今でも自信があります。数えきれないほど、様々にテストを重ねたからです。

一方で、操作の利便性、視覚的な操作の分かりやすさを自分なりに求めてきた結果、現在ではHTMLとCSSの、最新の規格を念頭にサイトを作成しています。これにより一部の旧式のパソコンやブラウザからのアクセスでは表示に不具合が出る可能性がありますが、ご理解いただければと思います。

一般に使われている多くのパソコンで、普及率の高いブラウザソフトを使うという条件のもとであれば、このサイトは、ほぼ問題なくご覧になれるはずです。


文章の中で「笑」その他、喪の雰囲気に相応しくないと思われる表現は、できるだけ避けています。キリスト教と仏教、あるいは神式では、宗教観の違いの問題もあり、故人の死を取り上げるにあたり、どういった表現が妥当なのか判断に迷う時があります。たとえば「ご冥福を祈ります」という言葉、これは仏教の概念から来る言葉であり、死生観が異なるキリスト教の考えの中では、かえって死を冒涜する恐れがあります。「安らかにお眠りください」がキリスト教での模範的な文言らしいです。私は「弔い」「死を悼む」の表現は用いていますが、これもひょっとしたら、と思います。他に適切な表現が思いあたらなかったので訂正していません。

管理人の私が横文字嫌いだから、ということもあるのですが、全体を通じて、横文字はできるだけ使わないようにしています。サイトの題名などにアルファベットを使っていることについては、デザインの一部と割り切っています。


ウェブサイトに掲載している画像、情報、MIDIデータなどで第三者に著作権などが帰属するものは、全て許諾を得た上で使用しています。それらのものを使いたい時、私には許諾を下す、下さない、の権限がありませんので、権利保持者に直接、許諾請求をしてください。

「内容が事実と違う」「表示がおかしい」「リンクがつながらない」などの不具合報告、「こんな題材を取り上げて欲しい」など、ぜひ、お知らせいただければと思います。参考にさせていただきます。

理念を10個挙げると上記のとおりです。特に優先順位はありませんが、どれも運営開始以来変更したことのない、そして今後もおそらく変わることのない考え方です。

以下、サイト誕生から、現在に至るまでを記しています。

関連リンクについて

当時のウェブアーカイブのリンクを何点か設けています。

マウスを当てた時やリンクの時の画面変化を味わってもらうため、画面写真ではなくアーカイブにしました。

当時の状態を可能な限り再現するため、リンク切れも、適宜修正した上で、敢えてそのままにしてあります。

クリックで、新たに画面が開きます。


第I期:きっかけ 1999年


彼が他界した1999年3月。私は都内の専門学校の生徒であり、書籍の編集をパソコンの画面で行なうDTPという技術を学んでいました。DTPはアップルのMacintoshがよく使われています。初めに触れたパソコンであることもあり、DTPを離れた今も、プライベートではMacintoshを使用しています。

彼の死は当時テレビや新聞で報道されましたが、映画評論家は、どの方も、どの媒体でも、異口同音に「不謹慎は承知だが、新作が完成した後で亡くなってくれて良かった」という弔辞を寄せていました。

当時の私は、名前を知っている監督という程度の認識しかありませんでした。どんな評価をされた人かも、どんな作品を遺したかも、どこの国の人かも、享年が何歳かも、殆ど何も知りませんでした。しかしそんな無知な私にさえ、キューブリック氏の死に対する識者の意見が、すごく異質なものに感じられました。不謹慎は承知だが、という表現について、著名人の訃報のときに見られる通常の弔辞とは、明らかに趣きが異なって感じられたのです。

どの記事でも、キューブリックを語る上で使われた、いくつかの言葉がありました。完璧主義者、新しい技術を積極的に取り入れた、そして、遺作となった映画が今夏に公開される予定。私は不思議とキューブリックに魅かれ、同年夏に公開された映画『アイズ ワイド シャット』を劇場で観賞しました。

記憶に間違いなければ、同時期に上映していた映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を見た後、はしごするように劇場から劇場に渡りました。『アイズ ワイド シャット』の看板は紫をメインカラーにしたキスシーンのデザインで、繁華街の中でも目立つほうでした。職員の方が「R指定です」「キューブリックの遺作です」「ちょうど本編が始まります」と拡声器でアナウンスしていました。視覚と聴覚への刺激、それで足が向きました。加えてその日は映画サービスデーの日、つまり1,800円の料金が1,000円になる日でした。

たまたま目についたから、たまたま上映開始のタイミングが合ったから、そして、たまたま料金が安かったから。「たまたま」が3回重なった偶然の一致です。このことを思い出す度に、キューブリックの映画が当時の私にとって、いかにどうでもいい存在だったか分かります。

私が足を運んだのは、今はなくなりましたが、「新宿ミラノ座」という、新宿コマ劇場向かいに位置する大きな洋画系の劇場でした。本編が始まる前、宣伝の1つとして、マトリックスの予告編が流れていました。前述の「ライフ・イズ・ビューティフル」といい、「マトリックス」といい、他にあった話題作も含めて、1999年というのは映画の当たり年だったなと今でも思います。そして映画本編。正直な話、鑑賞していて、少し退屈で、長い映画だなと感じました。しかしながら、美男美女が出ていることもあるのでしょうが、映像の美しさが圧倒的でした。ただ、こちらは猛暑の繁華街を歩いてきて、冷房の効いた館内で観ているのに、劇場の銀幕に映し出されるのはクリスマスのニューヨークの映像。登場人物は当然、マフラーやコートを羽織っていて、おまけに白い息を吐いていたので、違和感がありました。

映画のラストで、主演女優がセリフをひとこと言って映画は終幕し、暗転した画面に白く大きなアルファベットの文字が流れ出しました。スタッフロールでした。その時に客席がわずかにどよめき、そばにいた女性が「あーん、難しい」と頭を抱え、そばにいた男性に肩を寄せていたことを覚えています。別のカップルは「あの人があの時どこどこの現場に行ってナニナニをして、だからあのシーンにつながるんでしょ?」と物語を言葉で振り返り、内容の確認をしていました。

得体のしれない謎めいた美しい何かに触れたこと。私のキューブリック履歴は、たぶん、この辺りから弾みをつけたのだと思います。


あとは簡単でした。その時買った映画のプログラムの後半に、TRIBUTE TO KUBRICKと銘打った、彼の過去の映画を紹介するページが設けられていたので、それを通じて過去の作品の題名を知り、レンタルビデオで見ました。夏から冬にかけて、幾つか関連書籍も併せて読み、初心者に毛の生えた程度の知識を身に付け、私は得意になりました。彼は経歴の長さの割に発表している作品が多くないなので、お金のない学生の私でも、全ての作品をレンタルして見ようかなという気になれたのです。作品の数が、もしも倍あれば、たぶんそこで興味は途切れていて、私のサイトも生まれなかったでしょう。

前述のとおり、DTPの技術を学校で学んでいたため、校内には当然、プリンタやスキャナなど機材がありました。私は誰に見せるわけでもないキューブリック特集の小冊子を作ることに熱中し、ひとり悦になっていました。


第II期:サイト設立 2002年


彼の死から数年ののち、私は学生でなくなりました。

よく覗きに行く個人のサイトが見栄えよく更新されたので「プロの制作会社に依頼したのですか」と尋ねたら「プロどころか、手書きです(笑)」という返事で、衝撃を受けました。というのは、相手が、自分とは親子ほど年の離れた女性だったからです。

「手書きでサイトを作る」。これまで考えもしなかったことですが、急に、自分にもできるかもしれないと思い、個人サイトの運営を始めました。

当時所有していたのは、2002年現在でMac OS 8.1というバージョンでした。とても古い代物で、対応しているホームページ作成ソフトに実用的なものがなかったので、私には手書きでサイトを書く以外に選択肢はありませんでした。その名残りで、サイトを作るのに「お金を払う」「専用ソフトを使う」という概念が、未だにありません。


私は当時、趣味の私設サイトを運営していました。その中にお勧めの人物や映画や書籍などを紹介するページを新たに設け、そこに当初スタンリー・キューブリックを加える予定でした。学生の時に得た情報があり、それをそのまま生かせればと思ったのです。しかし他の人物に比べて、キューブリックは把握している情報が多すぎました。考えた結果、自分のサイトとは別に、新たにサイトを作ることにしました。

新たなサイトを作るにあたり、URLの綴りを考えた時、性格の曲がった私らしいなと今さらながら思いますが、キューブリックの名前やサイトの題名を入れるのだけは絶対に嫌だな、というのが第一にありました。理由はうまくいえないのですが、とにかく、絶対に嫌でした。結局サイトの題名とURLの綴りに共通の単語がなく、それについては訪れてくれる方に不便で申し訳ないかもしれないと思いながらも、フィルムメーカー(映像作家)という名前のついたURLにできて良かったと、今は思っています。

サイトのロゴマークについて、2006年7月から「Tribute to KUBRICK」に統一していますが、初期は「Tribute to Mr. KUBRICK.」と綴りを若干変えていました。そのため2006年7月以前に、ウェブリンクを貼ってくださったサイトがあったとしたら、紹介として Mr. の文字が入っているのもあると思います。これは今となってはあんまりこだわりがないので、もし今後もMr.つきの名前のリンクが見つかっても、たぶん意見などはしないと思います。

当初は、無料ホームページサービスのTripodを借りて運営していました。無料だったので、広告のポップアップウィンドウが常についていました。当時の代物をご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思います。サイトを手書きで制作するのは今も当時も変わりないのですが、当時のデザインは、タグの綴りを間違えていたり、画像が容量を無駄に大きく取って枷になっていたり、幼い作りでした。手書きという同じ手法で、同じ人間が作ったのに、当時に比べれば今は随分とマシな作りになったと思います。


改装や増築を何度か繰り返しましたが、やがて最大の転機が訪れました。サーバの提供元の事業統廃合により、Tripodが消滅する(親会社の楽天株式会社の運営するInfoseekに吸収合併)ことになったのです。サイト運営を続行するかどうかの未来で、私には選択肢が3つありました。そのままアドレスを一部変えて、広告が入ってしまうものの無料サイトのまま再出発を切るか、あるいは、やはりアドレスは変わってしまうが有料のサービスに切り替えて、データも移行して新しく再出発を切るか。そして、サイトを閉じるか。

結局、有料のサービスに切り替えて、運営を続行する道を選びました。


第III期:再出発(無料から有料へ) 2003年と2004年


どの会社の有料ホームページサービスを利用するか散々悩んだ揚げ句に、Infoseekに決めました。当時のURL は、http://filmmaker.web. Infoseek.co.jp/でした。

有料にすることで、いろいろと登録せねばならない事務手続きの作業がはじめにあり、それはそれで面倒でしたが、それを終えると、いろいろと自由や可能性を感じることが多いように思いました。お金が絡んでいるためか、無料のサービスで作っていた時と違って、段違いに様々なサービスを利用できるので、大きな強みでした。

無料のホームページから有料の広告非表示のホームページにアドレスを移したのが2003年10月。その時は、内容をただ単にコピーしただけでしたが、アドレスを変えるのを1つの節目として、中身の体裁を大幅に整えようと試みました。具体的には、スタイルシート(CSS)を全面的に使い、ディレクトリの構成を可能な限り単純になるように心がけました。どういう風に変えようか、6ヶ月間、いろいろと試行錯誤を繰り返しました。また、映画会社などに問い合わせたうえで、知的財産権問題も解決したいと思いました。

1つの峠を越えて、再出発したのが2004年3月。その意味も込めて、このサイトのコピーライト表示は、2004年にしています。西暦表示は2004のままで続ける予定です。


第IV期:周知 2004年3月から2005月3月にかけて


2004年03月、改装して間もなくの頃、Yahoo!JAPANにカテゴリ登録を自薦申請したところ、数日ですぐ登録されました。

Yahoo! JAPANへの申請受理は「奇跡といっていいほど不可能に近い」「東大合格より難しい」と囁かれていますが、私の場合、あまりにも呆気なく登録されてしまったので、有りがたみがありませんでした。登録された翌日には、いきなりアクセスが5,000を突破しました。自分でサイトやブログを持っていて、アクセス解析を備えている人ならば、この数字の意味が分かると思いますが、個人運営の非営利のサイトで1日で4桁アクセスを記録というのは自慢できるものだと思います。「Yahoo!神話」を実感しました。一方で、嬉しさよりも、自分のサイトが完全に周知のもとにさらされ、手の中から離れてしまった気がして、怖かったのを覚えています。他人に見られて困るものを発表しているつもりはないのですが、何かミスや誤字脱字がなかったかどうか、今さらながら気になりました。それからは桁がガクッと下がりましたが、初期に5,000を突破した事実は励みでした。

Yahoo! JAPANに登録されて間もなく、こちらも大手で、申請受理が難関といわれる大手サイトのAll About、その映画部門に自薦したところ、登録されました。一度で難なく申請が受理されたため、やはり有り難みがあまりありませんでした。しかしこの2つの大手サイトに正式に登録されているためか、他の大手の検索サイトにも候補として芋づる式に引っ掛かるようになり、開設から1年で大抵の検索エンジンで見つけられるようになっていました。これについては、地味でそっけないサイトながら、我ながら誉めてやりたいところです。今までに何度も「面倒くさいから閉鎖しようかな」と考えるのですが、思いとどまってきた理由の1つが「いろんな人に認めてもらえたんだから」という事実です。

2004年3月にリニューアルしてからは、同年9月に1度更新し、2005年3月に2度目の更新をしました。

そして、ほとんど誰も書き込まないので、掲示板も廃止しました。


ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第V期:サイト全体のリニューアル 2006月7月


掲示板も廃止した頃、世間でブログが流行し始めました。同じ時期に、ウェブ標準という概念も聞くようになりました。

インターネットのサイトの設計図にあたる「ソース」は、W3Cという国際的な団体によって世界共通の文法や規格があらかじめ決められていますが、これに忠実に従っている、つまりは教科書どおりに作られたサイトのことを概ね、ウェブ標準というらしいです。

このサイトは前述のとおり、この頃Yahoo! JAPANでは簡単に検索にひっかかっていましたが、InfoseekとGoogleには、ひっかかりませんでした。理由はいろいろあったでしょうが、「ウェブ標準に基づけば、Googleに引っ掛かりやすくなるかもしれない」というのをネットのどこかで見ました。

加えて、数年間のアクセス解析を辿ると、利用者の大半が、このサイトを、資料集のように扱っているかもしれない傾向をつかんできました。

だいぶ悩んだ結果、サイトの構造そのものを初めから考え直し、「ウェブ標準」「資料集」どちらの観点から見ても、より閲覧者に分かりやすく、運営している私本人にも管理のしやすい方法がないかと取り組んだのがこの時期でした。「XHTML(Strict)+CSS」化を目指しました。

従来は、まずトップページがあり、それをクリックして初めてサイト本体が現れましたが、それをやめました。サイト本体も、画面上と下が固定されたメニュー画面で、真ん中部分だけが次々に切り替わる、フレーム(画面分割方式)を採用していました。それもこの時期に廃止しました。全てのページを、サイトの文法チェックのサイトで調べて、エラーがないかどうか調べました。大変でも難しいわけでもありませんでしたが、全てのページをはじめからやり直したので、面倒くさかったです。

結果、当時の悲願だったGoogleで、時々ヒットするようになったのが嬉しかったことを覚えています。Yahoo!JAPANーとAll Aboutを簡単に味方につけると、欲が出てしまい、どこのサイトの検索結果でも、表示されるようになりたいという思いに執着するものです。サイトを初めてから幾度となく「面倒だから閉鎖してしまおうか」と思っていたのですが、完全な「XHTML(Strict)+CSS」化を目指す、この新たな目標ができたことで、久々にサイト作成の熱が出ました。


現在までに頑なに守っている、「正しい文法(文書構造)で」、「可能な限り全体の容量を減らし」、「ローテクでもここまでできる、と閲覧者に思わせるウェブデザインで在り続ける」という理念の原型が、この時期に生まれました。


ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第VI期:URL変更 2007月3月現在


サイトの増改築をしようという気持ちが自分の中で飽和状態になってしまったので、連日、アクセス解析を眺めるだけの時期だったのですが、前々から悩んでいたことを決行しました。

ホームページサービスの提供元(当時)のInfoseekは、有料ホームページサービスに「廉価版」と「通常版」の2つを掲げています。値段の違いが、ホームページアドレスの綴りの違いだったり、使用できるプログラムの種類の違いだったりするのですが、契約当時は廉価版が存在しなかったため、通常版で契約していました。その後に廉価版サービスが新しく始まったのですが、このサイトの場合、規模や内容を考えると、廉価版で十分すぎるぐらい事が足りたため、この時期、思い切って廉価版で再出発を図ることにしました。それによりURLがhttp://thefilmmaker.hp.Infoseek.co.jp/に変更されました。

廉価版に契約変更するとサイトのアドレスが変わってしまうので、二の足を踏んでいました。

また、アクセス解析を見続けてきて、どう考えても需要のなさそうなページなどは、思い切って隅の目立たないところに移動させ、通常よく閲覧されるページも、可能な範囲でシンプルにしました。掲示板に引き続き、メールフォームもほとんど利用がないので廃止し、かわりに管理人へ直接メールを送れるように、全ての画面の下にメールアドレスを表しました。

また、文字ばっかりのサイトという部分をいい加減抜け出したくて、「合法的にキューブリック関連の画像を掲載する方法はないか」を考えた結果、一部にAmazonの広告を取り入れました。


ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第VII期:文字と色 2008月3月


サイト更新にあたり、「文章の処理」と「減色」を実行しました。

「文章の処理」は、文章の途中でアルファベットや数字や記号を含む場合、単語と単語の前後に、半角でスペースを空けることです。可読性を高めようと思いました。



Microsoft公式サイトのWindows関連のページを眺めてみて思ったことです(Windows関連のサイトからヒントを得て実行した、初めてのことでした)。

「減色」は、サイトの中で強調色として使っていた赤色を撤廃することです。追悼サイトなので、「攻撃色」は控えるのが相応しいと思い、行ないました。一部のロゴマークで赤を使用していたので、結果、たくさんのマークの作り直しになりました。でもその結果、色使いが今までより更に地味になってしまいました(「黒」「白」「灰色」「青」「緑」だけ)。

本当は内部リンクなどを網の目のように交差させたかったのですが、作成の後の動作検証も含めて考えると、とてもとても時間がなくて。そのためリンクなどの設置は見送りました。


ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第VIII期:リメイク 2009月3月にかけて

十回忌を迎え、サイトのロゴマークを全て作り直したり、中の文章をチェックしたり、これまでの改装では手を触れなかった部分を中心に展開を図りました。ロゴマークのアルファベットのフォントについては、墓石の刻印に使われるタイプを採用したり、日本語のフォントも視認性が高いといわれる種類のものを新たに採用したりしました。

他に試みのひとつとして、各々のページのトップ部分、花の写真のすぐ下に、簡単にページ内容の紹介文を設けました。 たとえば作品紹介の総合ページでは「キューブリックが監督した映画作品を解説します。」と記しました。トップページは、説明らしい言葉が思い浮かばずに、キャッチコピー的に「永遠の別れの旅へ。」と致しました。同じ理由で、序章と終章も特に紹介文など書くほどでもないおまけの部分なのでそれぞれ「十回忌に寄せて……」「さらば、完璧主義者。」としました。

他に資料集としての充実を図るべく、これまでは敢えて詳細を出さなかった、キューブリック作品の内、日本未公開の4作品について新たにページを創設しました。ただし私自身は 4 作品のいずれも、当然ながら見たことがないので、解説は必要最小限に留めています。YouTubeでそれらしいものが流れているのですが、敢えて鑑賞していません。

ここ数年の改装の中では細かな部分のチェックも含めて、比較的時間を取ってメンテナンスやリメイクができたと思います。

また、改装を終えた直後、次の2点も変更しました。いずれも普段の閲覧では、変化は、まず分からない部分です。



ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第IX期:様々なリメイク  2010月3月にかけて

それまで利用していた、楽天の提供するiswebライト(アイエスウェブライト)のホームページサービスを離れ、新たにさくらインターネットのホスティングサービスを申し込むことにしました。

2009年7月26日に、URLをhttp://filmmaker.skr.jp/に変更しました。

以前から考えていたことですが、さくらインターネットのほうが料金が安かったりとメリットが大きく、またホスティングサービス専業会社のため、いくつかあるサービスのひとつとしてホームページサービスを提供している楽天と比べると、万が一の障害時の対応なども期待できると思っていました。

このサイト自体、Googleのページランク(ページランクは0から10の11段階評価。数字が大きいほど評価が高く、最高時が4、当時で1)が落ち込んでいたので、思い切って実行しました。


私のサイトが大手だとかメジャーだとかいう意識は全くなく、そのような事実もないですが、運営を5年以上継続していて、著名なサイトのカテゴリにも概ね登録されている割には、けっこうな頻度でURLを変更してきたと思います。

サイトデザインとしては、何年も前から、アイデアとして候補に挙がっていた「画面全体に黒い縁取りを入れる」ことをこの回に採用しました。黒い縁取りは、私の場合CSSを利用して実現していますが、これだとInternet Explorer 6以前のブラウザでは表示が崩れます。他にも欧米圏及びキリスト教圏において「黒い縁取り=喪」という図式が成立するのか不安だったためこれまで見送っていましたが、思い切って踏み切りました。

喪のデザインといえば黒を基調としたものが昔からの主流でしょう。一方でウェブデザインで全体を黒っぽくするとアダルトサイトチック、アングラサイトチックになってしまう危惧を常に孕んでいます。なので逆に白を基調としたデザインにしようかなとか、あるいは(花束からくる意味で、葉っぱを連想する)緑を基調としたものにしようかなとか、映画のリーフレット調にしようかなとか、ロゴの見出し部分だけ極太の縦書きにしようかなとか、かなりいろいろ考えました。

デザインの参考にと思い、様々な追悼サイトや墓地のホームページなどを閲覧しましたが、ひめゆりの塔やヒロシマ関係以外は正直いって感銘を受けるデザインがなく(逆に、ひめゆりの塔とヒロシマでは内容に引き込まれて夜中にじっと本文を読んで暗い気分になっていました)、結局は手探りのまま作ることになり、CSSを操作し様々に試行錯誤した結果、ひとつのデザインに落ち着きました。

各々の要素の数や配置は大して変わっていないのに、色指定を変更するだけでだいぶ印象が変わるものなんだなと我ながら驚きでした。

従来から検討していたことのひとつとして、URLの修正を行いました。途中の部分の綴りを、これまでは3文字で統一していましたが、それぞれ文字数の制限を撤廃し、意味の通じる単語にしました。例として、作品紹介ページの「非情の罠」(原題:killer's kiss)は次のとおりです。



そして、もっとも時間のかかった作業でしたが、歴代のサイトそのものを、ウェブアーカイブデータ(過去のサイトの全記録)として、リンクを貼り、閲覧できるようにしました。手元に残っているデータを集めたのですが、残念ながらコピーライト表示を名乗り始めた2004年以前のものは残っていませんでした。

ウェブアーカイブデータは可能な限り無修正で出しました。そのためリンク切れになっているものもあえてそのまま残しています。

全てのデータに共通して意識的に修正したのは次の2点、「検索エンジンの対象にならないよう細工をする」「掲示板や管理人へのメールフォームを修正する」です。前者は、あくまで資料として発表するため、検索エンジンにひっかかってほしくない意向の表れです。後者は、過去のウェブアーカイブからメッセージを試す際に、エラー表示を出さないための配慮です。

ウェブアーカイブは、あくまでひとつの企画です。こんなサイトでもだんだん変貌していったことを感じ取ってくれればなという思いの表れで、笑える要素のないコンテンツの中でも、害のない笑いが取れるかも、という意図もあります。「ホームページ制作の素人であるひとりの同じ人間が、個人で企画したホームページ」として、デザインや使い勝手がだんだん良くなっていく様を感じ取っていただければなと思います。実際、これまでのサイトのデータを再確認して、私自身がとても懐かしかったりしました。「こんなデザインでよく、あのYahoo!JAPANーの申請通ったよな」と思いもしました。

私のサイトは、これまでにも「追悼というよりはデータベースのサイト」といろんな人にいわれていたのですが、これでますます、自らの過去を振り返る機能を持つという意味からもデータベースの面が強くなりました。

サイトは全体で41ページあり、総容量は3MBです(MIDIデータ含む)。今回はウェブアーカイブが加わったため総容量が10.3MB 。一気に3倍強です。なんとなく情報が増えたことを分かっていただければと思います。

ちなみにあの Google は、同社の基本理念のひとつ「高速化」の具体策として、サイトのページから余計なビットやバイトを残らず削ぎ落とすこと、そしてサーバー環境の効率を向上させることに全力を傾け、……と述べています。目的は異なりますが、私もサイトを改装するたびに少しでも余分な情報を減らして軽くなるよう努めていますが、今回は例外となりました。これまで改装をして、容量が変わらなかったり、減ることはあっても、増えることはなかったので、5年以上やっているといろいろあるなあと痛感しました。

この時点より、再度、部分的にAmazonの広告を取り入れました。収益というよりは、合法的に画像を持ってきたいというのが第一の理由です。そのためGoogleの文字広告は入れていません。Amazonの広告も値段は非表示にしています。とはいえ収入があればやはり嬉しいので、さくらインターネットに支払っている料金ぐらい賄えたら嬉しいなとは思います。


ウェブアーカイブ

下記リンク先に、それぞれ見本を提示します。


第X期:公式ブログの誕生 2010月7月にかけて

2010年、私個人の公式ブログを開設しました。

Tribute to KUBRICKにおいて、それまで「サイト運営の歴史」と「更新情報」について同じウェブ内にページを設けていましたが、特性を考えるとブログに移した方が妥当なのではと思い、2010年7月更新より、それぞれの情報はブログに移しました。サイト内には誘導するリンクのみを残しました。


閲覧された、全ての皆様へ

Tribute to KUBRICKは、画面を上と下に分割するやり方を撤廃した2006月7月以降、幾つかの共通項の数字を以てデザインしています。

具体的には、横幅を726ピクセル(スタンリー・キューブリック誕生日に因んで)固定。他にも色のコードにa9a9a9(永久)、393939(サンキュー)を取り入れたり。ギャグみたいな理由も込めて、普通に閲覧したのでは分からないような部分にも故人への追悼や賛辞を込めています。

もともと飽きっぽく、理工学系の知識や技術に縁のない私が、ホームページ作成ソフトも使わず、完全な手作りで始めた気まぐれホームページです。いろいろと時間も手間も掛かるのに、ここまで持ってこれたのは、「今までやってきたんだから」という意地があるのもあります。キューブリックやその映画について、理屈抜きで心を奪われたというのもあったと思います。上に記したように、様々なサイトで紹介されるようになった、ということもあります。肩の力を抜いて、時には放置して、気長にやってきたことも大きな要素です。

サイトもブログも、作る第一歩は簡単だけど、継続させるのが難しいとよく聞きます。新しいサイトやブログの8割は、半年足らずで更新されなくなり、1年以内に消滅するらしいです。その中、このサイトは継続しているので、我ながら大したものだと思います。

サイトで必須なはずの、情報の鮮度や更新頻度を無視してもあんまり差し支えないので、年に1回しか更新しなくても手抜きに見られないのも得な部分でしょう。

追悼を趣旨としたサイトは、基本的に、新しい情報が滅多に追加されません。そのため検索エンジンでひっかかる他の方の追悼をメインに扱うサイトを見ると、Windows95が世を席巻していた頃みたいな、インターネット黎明期さながらのデザインのものも、在ります。

本ウェブサイトは、年に1度デザインの見直しを図るので、その意味では希少といえます。しかし今後管理人の私が今よりキューブリックに詳しくなったとしても「初心者向けに分かりやすく」が基本理念の1つのため、それをサイトに反映させるかは分かりません。

スタンリー・キューブリックや、彼の作品については様々なページで語られています。YouTubeなどの動画投稿サイトには、許諾が下りないため、日本はおろかアメリカ国内でも、合法的には公開されていないはずのものも含めて、本編も予告もメイキングも溢れかえり、Amazonでは廉価版も販売されて久しく、ウィキペディアに至っては、映画作品の情報が、専門的なはずのこのサイトより遥かに詳しいです。

キューブリック関係で40前後の総ページ数を内包しながら、これだけ情報のないサイトも、おそらく世界有数でしょう。しかしそれを私は「個性」と捉えています。基本姿勢を変えるつもりはありません。

初心者としてこのサイトを初めてご覧になり、興味を持たれ、より詳しい情報をネット上でお求めの方は、どうぞ他のサイトをお探しください。

初めにも触れましたが、気楽で楽しかった学生時代にキューブリック作品を知ったので、世間におけるキューブリックの知名度や評価とは別の意味で、ある種の絶対的なブランドが私の中にあります。別のページで述べていますが、キューブリック氏と以前付き合いのあったヴィタリ氏とメールでやり取りできたのも非常に大きかったです。(これは本当に自慢です!)

実を言えば、追悼のサイトを運営する人間でありながら、キューブリック関連の知識には自信がありません。全てのキューブリック作品が好きなわけでは決してなく、本編を観ている内に眠くなってしまい、未だに全編を完全には観ていない作品もあります。「映画」という媒体や「スタンリー・キューブリック」というアイコンから、しばしば誤解されますが、キューブリックへの興味レベルはおそらく「並」程度です。サイトの運営さえ惰性の気持ちでやっています。「サイトを閉鎖してしまおうか」という思いも非常によく起こります。

しかしながら、何より、いろいろなサイトにお勧めとして登録されたこともあり、連日、アクセスがあること。それが何よりの励みです。最近は、新しく知った検索エンジンがあると「スタンリー・キューブリック」で自分のサイトが何番目に来るかを試したりします。あるいはGoogleの検索結果の順位に一喜一憂したりです。


私は、すべてのウェブページのソースコード(HTMLソース、CSSソース)を、手元にある一般向けのリファレンスブックの書籍を参考に、フリーウェアのテキストエディタにて、手書きで作っています。ページの内容は、テクニックとしては基礎知識、基本構造だけで全てが構成されています。

手書きでホームページを作る人もあんまりいないとは思いますが、これから新しくホームページ作りを始める方がいたら「ローテクでもここまでできる」というひとつの参考になれば光栄です。

文字ばっかりで地味なサイトですが、暇な時間でかまいませんので、たまには弔問にいらしてください。


※ここに記載しているのは、1999年から2010年までの歩みです。

※それ以後の最新情報は、記録のページでご確認ください。

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歩みの記録
THE ORIGIN RECORD