スタンリー・キューブリック監督に関連した言葉
キューブリック監督に関連した言葉の説明です。
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「姓( family name, last name )」が右、の順です。
映画は主に『○○』(××)で表記。『○○』で題名を、(××)で
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目次
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あ
- アーサー・チャールズ・クラーク
- Arthur Charles Clarke
- 英国出身のSF作家。『2001年宇宙の旅』の脚本をキューブリックと共同で書く。
- 1917年12月16日、英国サマーセット州マインベッド生まれ。家は小さな農園を経営していた。第2次世界大戦中、英国空軍で少尉兼レーダー担当官としてレーダーの開発に従事。1945年、赤道上空の人工衛星で通信網を作る構想を雑誌に発表。この論文は今日の通信衛星を予見したものとして有名。除隊後はロンドンのキングス・カレッジに入学し、物理学と純理数学、応用数学を学ぶ。首席で卒業後、科学雑誌の編集をしながらSF小説を書き、1950年から執筆に専念した。「銀河帝国の崩壊」(1953)「幼年期の終わり」(1953)「海底牧場」(1957)など著作は多く、英米SF小説界の大御所のひとりとして君臨。1987年には、本人の名を冠したアーサー・チャールズ・クラーク賞(年間優秀作品を顕彰するもの)が発足。1999年には英国王室よりナイト爵の称号を授与されている。「前哨」(1948)を読んだキューブリックからの依頼をクラークが承諾し、SF界の映画と小説双方において「記念碑的傑作」と形容されるまでの作品が生まれることとなる。映画公開後もクラークは「2010年宇宙の旅」(1982)「2061年宇宙の旅」(1987)「3001年終局への旅」(1997)と続編を書くことになる。『2001年宇宙の旅』の後も、キューブリックとクラークの関係は友好的でありつづけた。
- 2008年3月18日、スリランカで死去。
- アーリアン・ペーパーズ
- Aryan Papers
- 映画制作の実現に至らなかった企画のひとつ。
- 1993年4月、ワーナーが『フルメタル・ジャケット』以来6年振りとなるキューブリックの次回作として発表した。当初は企画を盗まれないためにベルリン崩壊後のドイツ関連の話とされたが、5月に改めて明らかにされた。米国ニューヨークのエリート弁護士ルイス・ベグリーが55歳の時に初めて著し、1991に出版した小説「五十年間の嘘」"Wartime Lies"の映画化として予定されていた。ベグリーの実体験に基づくもので、第2次世界大戦中、ナチスが侵攻してきたポーランドからユダヤ人の少年が美しい叔母と共に正体を隠して逃げるというもの。主人公の少年マチェックには「ジュラシック・パーク」(1993)のジョセフ・マゼロ、叔母タニヤにはユマ・サーマン、ジュリア・ロバーツ、ジョディ・フォスターなどが候補に。ロケ地を探すなど本格的に準備を進めていたが、11月に「A.I.」の製作が発表になり中止に。似た題材の「シンドラーのリスト」が中止の理由ともいわれている。
- 日本で刊行されたハードカバー版の小説本には「スタンリー・キューブリックにより映画化予定」と明記されているため、確実なスケジュールだったことが予想される。
- アイズ ワイド シャット
- Eyes Wide Shut
- キューブリックが監督した映画作品のひとつ。遺作となった。詳しくは、こちら。
- アカデミー賞
- Academy Award
- 映画賞のひとつ。ここで紹介するのは米国のアカデミー賞。受賞者に授与される像の形からオスカーとも呼ばれる。
- 1927年5月11日に創立された「映画芸術科学アカデミー協会」が授与する賞。発案は初代会長の俳優ダグラス・フェアバンクス。入会には、映画芸術、科学に貢献したと認められ、同会員の推薦を必要とする。会員は現在5,000人を超えている。第1回は1928年ローズヴェルト・ホテルにて。テレビ中継は第25回から開始された。開催は毎年3月あるいは4月で、米国ロサンゼルス地域で年内に1週間以上、有料で上映された35ミリ以上の作品に限られる。数ある部門の中でも歴史が古く名誉あるのは、作品、監督、脚本、主演男優、主演女優の5部門で、いわゆる「五冠」と呼ばれる。受賞すれば映画にとって強力な宣伝文句になるほどのブランド価値があり権威がある。選考委員にユダヤ系の人が多いことからユダヤ人の迫害を扱った歴史映画だと受賞しやすいという噂もあるが、真偽は定かではない。『博士の異常な愛情』や『バリー・リンドン』が12月ギリギリにロサンゼルスで短期間だけ上映されたのは、翌年に発表となるアカデミー賞の受賞資格を得るためだったと思われる。興行の振るわなかった『バリー・リンドン』は、やり直しの上映の際、アカデミー賞5部門(美術・装飾、撮影、衣裳デザイン、編曲)受賞を前面に新しく宣伝した。
- キューブリック自身は、五冠にあたる作品賞と監督賞はいずれも受賞していない。受賞候補に名が挙がることはあった。『2001年宇宙の旅』で特殊効果賞を受賞している。
- アルトゥル・シュニッツラー
- Arthur Schnitzler
- 作家。『アイズ ワイド シャット』の原作小説の作者である。
- 1862年オーストリアの首都ウィーンに生まれる。本業は医者であるが、31歳の時に戯曲を発表。19世紀末ウィーンの雰囲気を表現する劇作家および作家として有名になる。代表作の「輪舞」(岩波文庫)は発表当時は発禁処分を受け、再上演は20年後となる。日本では、同じく医師であり作家でもある森鴎外が翻訳と紹介に尽力した。
- 1931年、死去。
- アレグサンダー・ウォーカー
- Alexander Walker
- 英国アイルランド生まれの映画評論家。
- キューブリックとは『現金に体を張れ』の頃からの付き合い。事前約束なしで『シャイニング』のセットを訪れても、ウォーカーを知るキューブリックはセットへの侵入を許可したという。1971年出版「スタンリー・キューブリックが監督する」"Stanley Kubrick Directs"は、キューブリック研究書の最良のものとされている。キューブリックの遺志を尊重して箝口令がしかれていた『アイズ ワイド シャット』の内容を1999年6月22日の「イヴニング・スタンダード」紙に書いてしまいワーナーの怒りを買った際には「スタンリーが生きていたら許してくれたはずだ」といっている。
- 1957年、『突撃』公開前にキューブリックにインタビューしにニューヨークを訪れた際に、彼のアパートに日本製のSF映画のフィルムが届けられているのを目撃(キューブリックからは口止めされた)。このことから、当時からキューブリックがSF映画の構想を練っていたことが分かる。
う
- ウィリアム・メイクピース・サッカレー
- William Makepeace Thackeray
- 英国の作家。映画『バリー・リンドン』の原作小説の作者である。
- 1811年7月18日カルカッタ生まれ。4才の時に父が死亡、英国に送られる。25才、パリでイザベラ・ジョーと結婚、「The Constitutional」に初めて論説を掲載。途中でロンドンに移り住み、アンとハリエット・マリアンの二女を授かる。ヴィクトリア朝で、ディケンズと並ぶ写実主義の代表者。上中流階級の日常に対する風刺などを好んで書いた。代表作に「虚栄の市」"Vanity Fair"(1847)など。
- 1863年12月24日、ロンドンで死去。
- 海の旅人たち
- The Seafarers
- 1953年にキューブリックが製作した船員組合のPR映画。日本では公開されていない。詳しくは、こちら。
- ウラジーミル・V・ナボコフ
- Vradimir Vladimirovich Nabokov
- 作家。『ロリータ』の原作小説の作者である。
- 1899年4月22日、ロシアの大貴族の家系としてサンクト・ペテルブルグに生まれる。1916年に豪壮な荘園を相続し億万長者となるが、翌年のロシア革命のために一家でロシアを脱出。英国ケンブリッジ大学でロシア文学とフランス文学を専攻し、卒業後はベルリンやパリで亡命生活を送る。その間に「暗箱」「絶望」など作品を発表、ロシア語作家としての地位を築く。1922年に父がロシア右翼に殺害され、経済的支えを失い、職業作家として独り立ちすることに。『ロリータ』は1955年にフランスで出版され、それにより世界的名声を博す。1960年からスイスのモントレーでホテル暮らしをはじめ、そこで生涯を過ごしながらも作品を発表しつづけ、蝶の研究者としても知られた。
- 1977年に死去。
え
- A.I.
- Artificial Intelligence
- ブライアン・オールディスの短編「スーパー・トイズ」"Super Toys Last All Summer"を原案とする映画の企画案である。
- オールディスと1974年に知りあったキューブリックが興味を持った。A.I.は、Artificial Intelligence(アーティフィカル・インテリジェンス:人工知能の意味)の略。人口過密のため出産が許可制になった未来社会、世界の主要都市の殆どが水没した時代、アンドロイドの少年デヴィッドが人間になるための旅をする話。キューブリック初の全編CG(コンピュータ・グラッフィックス)の映画になる予定だったが、『アイズ ワイド シャット』の製作のために一旦中止。ILMの専門家とCGについて打ち合わせするなど、企画は本格的に進んでいたが、その後キューブリック自身が他界となる。
- 遺志をついだスティーブン・スピルバーグが2001年に映画化した。
- MGM/UA
- Metro Goldwyn Mayer
- ライオンが吠えているマークの老舗映画スタジオの名称。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー。通常は略してMGMと表記する。
- 1924年に発足した。1940から1950年代にミュージカル映画で最盛期を極める。
- 1981年、MGMがUAを合併しMGM/UAとなった。
か
- カーク・ダグラス
- Kirk Douglas
- 俳優。1950年代から1960年代にかけて活躍したハリウッドのスター。
- 1916年12月9日、米国ニューヨーク州アムステルダムにある貧しいロシア移民の家に生まれ、苦学の末に俳優となる。1946年「マーサ・アイヴァースの奇妙な愛情」"The Strange Love of Martha Ivers"で映画デビュー。「チャンピオン」(1949)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされてスターの道を歩み始め、ディズニー映画の「海底2万哩」(1954)では楽器を弾きながら歌を歌う場面も披露し、『突撃』へ。当時は人気も絶頂にあり、ダグラス主演というだけで映画制作が即決された。『突撃』でキューブリックの才能を認めたダグラスは『スパルタカス』で代打監督に彼を起用。しかし平然と自分の流儀を貫くキューブリックに呆れ、自伝「くず屋の息子」(1988)で「キューブリックは才能あるくそったれ」と語っている。
- 彼のプロダクション名「ブライナ」は母の名から。「氷の微笑」(1992)などで知られる俳優マイケル・ダグラスは、最初の妻との間にできた長男である。
- 2020年2月5日、ロサンゼルスの自宅にて死去。
き
- 恐怖と欲望
- Fear and Desire
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
け
- ケア・デュリア
- Keir Dullea
- 俳優。『2001年宇宙の旅』で主演を務めた。
- 1936年5月30日、米国オハイオ州クリーヴランド生まれ。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで育つ。1959年、オフ・ブロードウェイで初舞台を踏み、1961年「不良牧師」で映画デビュー。「リサの瞳の中に」(1963)の演技が絶賛され、サンフランシスコ映画祭で主演男優賞を受賞。代表作は『2001年宇宙の旅』で、続編「2010年宇宙の旅」が映画化された際も同じ役を演じた。
- デュリアは『突撃』以来キューブリックの大ファンでだった。SF雑誌を愛読するSFファンでもあり、クラークの「前哨」も読んだことがあったという。
- ケン・アダム
- Ken Adam
- プロダクション・デザイナー。オールセットの『博士の異常な愛情』、オールロケの『バリー・リンドン』を担当した。
- 1921年2月5日、独ベルリン生まれ。英国ロンドンで建築を学ぶ。第2次世界大戦中は英国空軍のパイロットだった。1947年に英国映画界に入り、1950年代はアートディレクターとして活躍、1960年代からプロダクション・デザイナーとなる。キューブリック作品の他に代表作は「ドクター・ノオ(殺しの番号)」(1963)、「ゴールドフィンガー」(1964)、「ダイヤモンドは永遠に」(1971)、「私を愛したスパイ」(1977)などの007シリーズ。キューブリックは「ドクター・ノオ(殺しの番号)」で彼の仕事を見て『博士の異常な愛情』のプロダクション・デザインを依頼。『博士の異常な愛情』の撮影中、キューブリックとの仲は親密で、共同脚本のテリー・サザーンと三人して、キューブリックの家でハードコア・ポルノを見たりした。
- 『バリー・リンドン』でアカデミー賞を受賞。
- 現金に体を張れ
- The Killing
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- 拳闘試合の日
- Day of the Fight
- キューブリックが監督した映画作品。日本では公開されていない。詳しくは、こちら。
こ
- 広角レンズ
- Wide-Angle Lens
- キャメラに装着するレンズの種類。焦点距離が標準レンズに比べて短く、より広い範囲を写せるのが特徴。
- 写体を前景に入れて背景との距離感を強調したい場合や、狭い場所で撮る時などの撮影に使える場所に制限がある場合に有利。狭い街路、混雑した市場、見晴らしのよい景色など、標準レンズでは収まりそうにない映像を撮る時にも有功。また最短撮影距離が短いため、被写体に近寄って障害物を画面から外してしまうということもできる。『時計じかけのオレンジ』が特に顕著だが、キューブリック映画の特徴のひとつに、画面の周囲が歪むほどの広角レンズによる映像がある。一般には35ミリ映画の場合、50ミリレンズが人間の見た目と同じ標準レンズとされるが、視野角度は25ミリのほうが人間の見た目に近い。
- キューブリックは、セットの壁を壊したりせず、あるいは室内で本当にそこにいる人が見るのと同じ映像を写すために、広角にこだわったのか。
し
- ジェームズ・B・ハリス
- James B. Harris
- プロデューサー。監督。
- 1928年8月3日、米国ニューヨーク市に生まれる。1955年、共通の友人アレグザンダー・シンガーの紹介でキューブリックを紹介されたハリスは、キューブリックが完成させたばかりの『非情の罠』を見て彼の才能を確信。プロデューサーの父から出資してもらう形で映画のテレビ権を販売する会社を運営していたハリスは、自分が製作、キューブリックが監督する形の新しいプロダクションを作ることを提案。ハリス=キューブリックプロが結成される。ハリウッドに乗り込みユナイトの提供で『現金に体を張れ』『突撃』を製作して注目を浴びる。『博士の異常な愛情』を準備中の頃、監督になりたいというハリスの気持ちを察したキューブリックの助言により自身も監督になることを決意。友好的にコンビを解消する。
- 独立したハリスは「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965)で監督デビューした。
- ジェームズ・メイソン
- James Mason
- 英国生まれのハリウッド俳優。『ロリータ』でハンバート・ハンバートを演じる。
- 1909年5月15日、イングランド、ヨークシャー州ハッダースフィールド生まれ。ケンブリッジ大学で建築を学ぶが舞台俳優となる。1935年「時間外特別手当」"Late Extra"でデビュー。「灰色の男」(1941)と「邪魔者は消せ」(1946)で人気を集めた後の1947年に渡米。ブロードウェイの舞台に出た後、1949年「魅せられて」"Caught"でハリウッド映画にデビュー。以後「スタア誕生」(1954)、「海底2万哩」(1954)、「地底冒険」(1959)「票決」(1982)などに出演。『ロリータ>』の原作者ナボコフのファンだったメイソンは、周囲の反対を押し切って『ロリータ』に出演した。
- 1984年7月27日、スイスのローザンヌで死去。
- シェリー・デュヴァル
- Shelley Duvall
- 女優。『シャイニング』に出演した。
- 1949年7月7日、米国テキサス州ヒューストン生まれ。父親は広大な牧場を持つ弁護士。ヒューストンで開かれたあるパーティに出席していた時、映画監督のロバート・アルトマンに出会い、誘われるまま1970年の「BIRD★SHT」(バード・シット)に出演。女優になる気はなかったが、以降アルトマンの秘蔵っ子の個性派女優として活躍。1977年の「三人の女」では、コメディエンヌから演技派への転進にも成功、カンヌ国際映画祭の女優賞を受賞。1980年に『シャイニング』で一躍注目される。
- その後CATVでの童話シリーズ「フェアリー・テール・シアター」の製作総指揮を手掛けて多くの賞を受賞するなど、TV界の製作者としての活躍も目覚ましい。離婚歴1回あり。
- シャイニング
- The Shining
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- ジャック・ニコルソン
- Jack Nicholson
- 俳優。『シャイニング』に主演した。ハリウッドのスター俳優。
- 1937年4月22日、米国ニュージャージー州ネプチューン生まれ。幼い頃に両親が離婚し、美容師の母の元で育てられる。カレッジ卒業後17歳でカリフォルニアに出てオフィス・ボーイとしてMGMで働くかたわら演技を学び、「お茶と同情」で舞台デビュー。1958年に「クライ・ベイビー・キラー」"Cry Baby Killer"で映画デビュー。その後ロジャー・コーマンの元で低予算映画の制作に参加。スタッフにも加わった「イージー・ライダー」(1969)の爆発的ヒットでアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ一躍有名になる。「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970)ではアカデミー賞主演男優賞にノミネート。ハリウッドの表を行くスターとなる。「カッコーの巣の上で」(1975)でノミネート7回目にして主演男優賞を受賞。『シャイニング』は人気実力とも絶頂の頃の作品で、興行価値は満点だった。
- 1997年、キューブリックはD・W・グリフィス賞を受賞するが『アイズ ワイド シャット』の撮影中で授賞式に出席できず、ビデオ出演の形でスピーチした。ニコルソンが代理で出席して賞を受け取った。
す
- スターリング・ヘイドン
- Sterling Hayden
- 俳優。1950年代のハリウッドで中級スターとして活躍した。『現金に体を張れ』に主演した。
- 1916年3月16日、米国ニューチャージー州アッパーモントクレア生まれ。1940年に「ヴァージニア」"Virginia"で映画デビュー、西部劇やアクションスターとして人気を得る。彼を評価したキューブリックは『博士の異常な愛情』でもキャスティング。代表作はキューブリック監督作品の他、「大砂塵」(1954)「ゴッドファーザー」(1972)など。若手監督の作品に好まれて出演。
- 1986年5月23日にて死去。
- スタンリー・キューブリック
- Stanley Kubrick
- アメリカの映画監督。雑誌「ルック」のキャメラマンだった経歴がある。
- 1928年7月26日、米国ニューヨーク市マンハッタン区に、開業医の長男として生まれる。代表作に『2001年宇宙の旅』(1968)など。監督業の途中で住居、活動拠点ともに英国に移すことになる。彼の姓であるKubrickの日本語カタカナ表記は「キューブリック」「クーブリック」「カブリック」などがあるが、カブリックについては監督本人が「誤った表記、発音」と明らかにしている。「クーブリック」は映画通が使う名称らしいが、このサイトでは一般に使われる「キューブリック」の名称で通している。このサイトで主題として扱う人物。詳しくは、こちら。
- 1999年3月7日、英国にて死去。
- スティーブン・キング
- Stephen King
- 作家。『シャイニング』の原作小説の作者である。
- 1947年米国メイン州生まれ。貧しい少年時代から恐怖小説を好む。高校教師、ボイラーマンなどの傍ら執筆を続け、1974年「キャリー」で好評を博す。「呪われた街」「クリスティーン」「ミザリー」など次々にベストセラーを生み、“モダン・ホラーの旗手”と呼ばれる。
- リチャード・バックマン名義で作品を発表したこともある。
- スティーブン・スピルバーグ
- Steven Spielberg
- アメリカの映画監督。
- 1947年12月18日、オハイオ州シンシナチ生まれ。12才で8ミリ短編を、14才で40分の戦争映画「Escape to Nowhere」を制作。16才の時8ミリで最初のSF作品で2時間半の長編「Fire light」を総製作費500ドルで完成。ロングビーチのカリフォルニア州立大学に入学後、デニス・ホフマンと知り合い、彼の出資で1968年に製作した初の35ミリ作品「Amblin」(監督・脚本・編集、24分)がベニスとアトランタの映画祭で入賞し、当時のユニヴァーサル社副社長に認められ、テレビ映画の監督として契約するきっかけとなった。TV監督第1作は「夜のギャラリーNight Gallery"Eyes"」(1969)。最初の劇場用作品『続・激突!カージャック』は、米国の著名な映画評論家ポーリン・ケールにニューヨーカー誌で「映画史上最も驚くべき優秀な監督のデビュー作品である」と評され、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞。「シンドラーのリスト」(1992)、「プライベート・ライアン」、「未知との遭遇」「レイダース」「E.T.」「カラーパープル」など代表作は多数。アメリカの映画監督の中でも、特に成功した監督。
- 2001年1月、英国王室からナイトの称号を受けた。
- ステディカム
- Steady Cam
- 移動撮影用機材キャメラ。
- キャメラマンの体に装着する形で使用する。スレッドと呼ばれるモニターの付いたカメラ支持雲台と、振動を吸収するアーム、重量を上半身全体に分散して受けるジャケットの3点で構成されている。歩いても走っても階段の上り下りにも振動の無い滑らかな映像が得られる。『シャイニング』で使われたことが有名となり、以降、映画現場で普及するのに貢献したといわれる。『シャイニング』の頃は機材が重すぎて、体のしっかりした男性でも30秒前後が装着時間の限度だったが、技術が進歩して、今では女性キャメラマンでも身に付けられるくらいになっている。それでも操作には専門的な経験が必要とされるため、映画制作の学校では障害物を越えながらステディカムを操って撮影する実習があるらしい。
- 初めて使われた映画は、ハル・アシュビー監督「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」(1976)といわれる。
- スニーク・プレヴュー
- Sneak Preview
- 完成した映画を、ひとりで、あるいは観客と共に数週間かけて試写すること。これで本公開時の映画本編の長さが決まる。
- この作業の結果、『博士の異常な愛情』の終盤のパイ投げの場面が、『 2001年宇宙の旅』ではヒトザルの場面やディスカヴァリー号の船内生活や船外活動の場面など19分あまりが、『シャイニング』では終盤のアールマン(ホテルのマネージャー)が脱出したウェンディとダニーがいる病院へ見舞いに訪れる場面が、それぞれカットされた。
- 一般に公開されることが基本的にないため、ファンの間で「幻の場面」と語られることもある。
- スパルタカス
- Spartacus
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- スリットスキャン
- Slit Scan
- 別名「タイムスライス」。『2001年宇宙の旅』の後半の映像で使われた技術。
- カメラと被写体との間に細い隙間のあるスリットを置き、そのスリットを動かし(もしくは撮影面を動かし)ながら、動きのある被写体もしくはズーム操作などを使って変化する被写体を1枚の画像として捉える撮影手法。モーションコントロールカメラを使い、カメラに動きを持たせることで、1978年の映画「スーパーマン」のタイトルバックのような光が流れるような映像をつくり出すこともできる。
- 別の利用としては、競馬などのゴール写真がある。
そ
- ソール・バス
- Saul Bass
- グラフィック・デザイナー。『スパルタカス』のタイトル・デザインとヴィジュアル・コンサルタント、『シャイニング』の宣伝アートを担当。
- 1920年5月8日、米国ニューヨーク市生まれ。『七年目の浮気』(1955)『悲しみよこんにちは』(1958)『北北西に進路を取れ』(1959)『ウエスト・ウェブサイド物語』(1961)などなど、1950年代から1960年代にかけてバスのデザインしたタイトルは、映画タイトルの歴史に革命を起こした。『突撃』の試写でバスに会ったキューブリックは、クレジット・タイトルに使ったボドニー・タイプ(英文フォントの1つ)が本物のボドニーでないので、形が少し違う言い訳をした。タイポグラフィーにそこまで気を遣う若き監督キューブリックにバスは驚いたという。二人は互いに尊敬しあう仲だった。晩年は「ケープ・フィアー」(1991)や「カジノ」(1995)など、マーティン・スコセッシ監督作品のタイトルをデザインした。
- 1995年4月25日、死去。
- 空飛ぶ牧師
- Flying Padre
- 1951年製作のドキュメンタリー。日本では公開されていない。詳しくは、こちら。
た
- ダグラス・トランブル
- Douglas Troumbull
- 『2001年宇宙の旅』で特殊効果監督としてクレジットされた4人のうちの1人で、チーム最年少の23歳。
- 1941年米国ロサンゼルス生まれ。NASAのために宇宙アニメを製作していた会社に、もうひとりの特殊効果監督コン・ペダーソンと二人で勤めていた。1964年のニューヨーク万国博のIBM館で上映されたシネラマ360の「月とその彼方へ」"To the Moon and Beyond"を見たキューブリックが、そこにクレジットされていた二人をスカウト。
- 『2001年宇宙の旅』ではスリット・スキャン・マシンを開発。一躍有名になったトランブルは以後「未知との遭遇」(1977)などで特殊効果監督を務めて、1970年代のCG以前の特殊効果を牽引した。
ち
- チェス
- Chess
- 二人人組で行うボードゲーム。スタンリー・キューブリックの特徴としてあげられる。
- 13歳の頃、キューブリックは父からチェスの手ほどきを受ける。以後チェスに夢中になり、瞬く間に上達した。「ルック」を退社して、借金生活の中で映画制作を夢見ていた頃は、チェスで生活費を稼いだほど。先の手を読むチェスの考え方は映画制作にも役立つと言っている。彼のチェス好きは『2001年宇宙の旅』でのHALとプールなど、映画にも反映されている。
- キューブリックの腕前はパソコンゲームのチェスの「グランド・マスター・レヴェル」だった。
て
- D・W・グリフィス
- David ( Lewelyn ) Wark Griffith
- 映画監督。
- 1875年1月22日、米国ケンタッキー州ラ・グレンジ生まれ。エレベーター・ボーイ、本屋の店員、記者、ビールのホップ摘みなどさまざまな職業を転々とした後、慈善公演の舞台に立ったのがきっかけで地方劇団に参加した。戯曲や詩などを書きながら演劇面での活動を繰り広げるが、行き詰まってバイオグラフ社に映画用のシナリオを売り込むことに成功。いつくかの作品に俳優として出演するうちに、監督も任されるようになった。13年の間に450本以上の作品を演出、やがて超尺ものとして12巻から成る「國民の創生」を1915年に発表。翌年には不朽の名作とされる「イントレランス」を完成させ、後に“映画の父”と呼ばれることになる。しかし1930年代になるとハリウッドから相手にされなくなり、孤独な余生を送ったと言われている。キューブリックが後年受賞する「D・W・グリフィス賞」は彼に関連するものとみられる。
- 1948年7月23日、死去。
- 手塚治虫
- Osamu Tezuka
- 漫画家。20世紀の日本の漫画文化、アニメーション文化の発展に尽力した人物。
- 1928年11月3日、日本大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれる。本名・手塚治。治「虫」の由来は、無類の昆虫好きだったことによる。漫画家、アニメーション作家の他に医学博士でもあり、医師免許を持つ。代表作に「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「アドルフに告ぐ」「火の鳥」など多数。キューブリックが『2001年宇宙の旅』制作の際、当時の米国のNBCテレビで「アストロ・ボーイ」の名で公開され大人気を博していたテレビアニメ「鉄腕アトム」で手塚を知り、同映画の美術デザインに招聘しようとした(「ぼくはマンガ家」手塚治虫・著、角川文庫)。手塚もキューブリックのファンだったが、当時「虫プロダクション」を率いる彼は多忙を極めていたために、時間を割くことができなかった(当時の1日の睡眠時間はせいぜい2時間ぐらいだったという)。結果、「美術デザイン:手塚治虫」の表記は実現せずに終わる。
- 1989年2月9日、死去。
と
- 時計じかけのオレンジ
- A Clockwork Orange
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- 突撃
- Paths of Glory
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- トム・クルーズ
- Tom Cruise
- アメリカの俳優。『アイズ ワイド シャット』に主演した。
- 1962年7月3日ニューヨーク州シラキュース生まれ。ハイスクール卒業後、ニューヨークに出て演技を学ぶ。「エンドレス・ラブ」(1981)の端役で映画デビュー。「タップス」(1982)で注目され、「卒業白書」(1983)で初主演、「トップガン」(1986)でトップスターになる。女優ミミ・ロジャースと離婚後、「デイズ・オブ・サンダー」(1990)で共演したニコール・キッドマンと1990年に結婚。出演作がことごとくヒットして、新作が公開される都度、人気を確かなものにしている。
- クルーズとキッドマンは尊敬するキューブリックからの映画出演依頼に快諾、3年に渡る長期撮影に文句も言わずに付きあったという。
- ドルビー
- Dolby
- 音声技術。または、そのブランドの名前でもある。
- 1965年、当時エンジニアをしていたレイ・ドルビーが英国ロンドンでドルビーラボラトリーズを設立した。現在の本社は米国ロサンゼルス。設立当初から業務用や民生用のオーディオ環境における音質の向上に役立つシステムの開発を行っていた。一般には、「ノイズリダクション」(ドルビーNR)システムの開発から、ドルビーの名前が広く知れ渡ったといわれる。これは、オーディオマニアを悩ませてきた高音域の「シャー」というノイズ(雑音)を劇的に軽減させられるシステムだった。最初にドルビーデジタルが映画館で使われたのは1992年。元々劇場向けの技術だったが、DVDの普及により個人宅でも味わえるようになった。現在でもドルビーデジタル(AC-3という技術を使用)と呼ばれる最新デジタルオーディオ技術を一般家庭向けに提供するなど、世界のオーディオビジュアル(AV)動向に大きな影響を与え続けている。ドルビーデジタルは独立した5つのスピーカー(左・センター・右・左リア・右リア)を用いて音場を形成するため、聴視者の体を包み込むような臨場感ある音を再現することができる。独立したトラックを利用している為、チャンネル間の干渉のない鮮明な音が出せる。
- ドルビーデジタルのソフトウェアは最大で5.1chだが、映画によってモノラル(1ch)、ステレオ(2ch)と様々である。
な
- ナポレオン
- Napoleon
- 映画制作の実現に至らなかった企画のひとつ。
- 『2001年宇宙の旅』を公開後に予定されていた。ナポレオンの生涯を描く巨編映画として入念に計画をしたが、映画産業が斜陽になりつつあった当時、製作費を負担してくれる映画会社が見つからずに中止に。
- キューブリックは代わりに低予算映画の『時計じかけのオレンジ』を発表する。
に
- 2001 年宇宙の旅
- 2001 : A Space Odyssey
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
は
- パインウッド・スタジオ
- Pinewoods Studio
- 英国の映画スタジオ。首都ロンドン郊外にある、欧州の中でも有数の規模を誇る名門スタジオである。スパイ映画「007」シリーズの撮影でも知られる。70年以上の歴史があり、200エーカー(1エーカーが約1,224坪で、サッカースタジアム1つ分に相当する)以上の広さがあるという。
- キューブリックの映画の幾つかは、このスタジオで撮影された。
- 博士の異常な愛情
- Dr.StrangeLove
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- パトリック・マギー
- Patrick Magee
- 英国の俳優。『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』に出演した。
- 1922年3月31日、北アイルランド、アーマフ生まれ。王立演劇アカデミーで学び、1957年に初舞台を踏んだ後、英米の数々の舞台に立って俳優としての地位を確立。ベケットの「クラップ最後のテープ」(1958)は彼に演じてもらうために書かれた。トニー賞も受賞している。映画は「コンクリート・ジャングル」(1960)でデビューの後「トロイアの女」(1971)「戦争と冒険」(1972)などの一流作品に出演する一方で、ロジャー・コーマンやルチオ・フルチの低予算作品に多数出演した。
- 1982年8月14日、死去。
- バリー・リンドン
- Barry Lyndon
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
- ハリウッド
- Hollywood
- 米国カリフォルニア州ロサンゼルス市北西部の地区の名前。映画撮影所が集中しているため、世界的な映画の都として知られる。
- 古い文献では「聖林」と表記する場合もある。
ひ
- ピーター・セラーズ
- Peter Sellers
- 英国のコメディアン。
- 1925年9月8日イングランド、ハンプシャー州サウスシー生まれ。第2次世界大戦中は英国空軍に入り、インド戦線で演芸団の人気者だった。戦後、芸人となり、ラジオ、テレビ、映画に出演して1950年代半ばには英国での人気が絶頂になる。変装、他言語の芸は『ロリータ』のクイルティ役、『博士の異常な愛情』の3役を演じたキューブリック映画でも最高の成果を発揮した。結婚歴は4回。1951年に女優アン・ホウと結婚し一男一女をもうけた後1964年離婚(この時の訴訟が『博士の異常な愛情』撮影の頃と重なる)、同年に22歳の女優ブリット・エクランドと結婚、一女をもうけて1969年に離婚。1970年に23歳のミランダ・クァーリーと結婚するが1974年に離婚。1977年、23歳の女優リン・フレドリックと結婚。
- 1980年7月24日、英国ロンドンで死去。
- 非情の罠
- Killer's Kiss
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
ふ
- フルメタル・ジャケット
- Full Metal Jacket
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
ま
- マシュー・モディーン
- Matthew Modine
- 俳優。『フルメタル・ジャケット』で主演した。
- 1961年3月22日、米国カリフォルニア州生まれ。ドライブ・イン・シアターのマネージャーを父に持つ。小学校時代に「オリヴァー」のメイキングを見て俳優を志すようになる。17歳でニューヨークに渡り、演技の勉強をし、CMやTVなどに出演、「ベイビー・イッツ・ユー」(1983)で映画デビューを飾る。その後ロバート・アルトマン、アラン・パーカーなどの監督との仕事が続き、実力をつける。1982年にモデル出身の女性と結婚。一男がいる。以後さまざまな役柄をこなし、地道に演技の幅を広げている。
- また画家としての才能もあり、その方面でも高い評価を得ている。
- マルコム・マクダウェル
- Malcolm McDowell
- 英国の俳優。1943年6月13日、イングランド、ヨークシャー州リーズ生まれ。
- アンリカのコーヒー会社のセールスマンなどを経た後、ロンドン音楽・演劇アカデミーで演技を学ぶ。1964年に初舞台。1968年、「十二夜」の舞台を見たリンゼイ・アンダーソン監督に認められて、同監督の「if もしも…」(1969)の主役を演じ、それを見たキューブリックが『時計じかけのオレンジ』のアレックス役に抜擢した。アレックス役は、マクダウェルの役者としての幅を限定するほど強い印象を残した。
- 以後、「タイム・アフター・タイム」(1979)「ジェネレーションズ/STAR TREK」(1995)など、悪役が多い。
- マルチプル・テイク
- Multiple Take
- 同じ場面を何十回と繰り返し撮ること。キューブリックの撮影流儀のひとつ。
- 『シャイニング』の女医役アン・ジャクソンは、40回ほど取り直した場面(国際版ではカットされている)が、完成した映画では明らかに最初のテイクを採用していると証言。同作品では別に、料理長役のスキャットマン・クローザーズが斧で殺される場面は連続で40回取り直し、ジャック・ニコルソン(クローザーズを殺す役の俳優)が止めに入ったという。リドリー・スコット監督が「ブレードランナー」(1982)のラストに、『シャイニング』で撮影した空撮のフィルム(映画冒頭からホテルに移るまでの映像)を使わせて欲しいと申し込むとすんなり許可が下りたが、届けられたフィルムは3万フィート(1フィート=約0.3メートル。本編が159分の『アイズ ワイド シャット』が4,357メートル)あった。『アイズ ワイド シャット』は、予告編に登場する、クルーズとキッドマンが鏡の前で裸で抱き合う場面の撮影だけで1週間かけたといわれる。
- 2、3回で大丈夫なこともあったが、OKであっても、更に何かがでてくることを期待して「もう1度」を連発し、晩年は100回を越えても終わらなかったこともあったようだ。
ゆ
- ユナイト
- United Artists
- スタジオの名前。1919年、ハリウッドのスター・システムに反発したチャールズ・チャップリンが、監督のD・W・グリフィス、俳優のメアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスらと手を組み、財閥のモーガンの資金援助によって設立された。
- 彼らの作品をはじめ、007シリーズなどのヒット作を数多く生み出したが、1978年にマイク・メダボイ(現フェニックス・ピクチャーズ)ら5人の首脳陣が経営方針を巡って離脱、その後は急速に業績が悪化し、1981年にはMGMによって買収され、現在サミュエル・ゴールドウィン、オライオンとともにMGM傘下にある。一時期は「MGM/UA」と呼称されたが、今は社名も「MGM」のみとなっており、そのロゴマークは作品を鑑賞しなければ観ることは出来ない。
- 単独でシネコンを中心とした劇場の経営を大規模に行っており、国内だけでなくアジア各国へも進出している。
よ
- 浴室
- Bathroom
- キューブリック映画の中で、物語上の特別な場面において、浴室が頻繁に登場する。
- 『ロリータ』ではシャーロットが死んだ時、ハンバートは風呂に。『博士の異常な愛情』でリッパー将軍は浴室で自殺。『2001年宇宙の旅』のラストは白い部屋の中にタオルのかけられた浴室。『時計じかけのオレンジ』のアレックスは、風呂場で歌を歌ったために正体がばれる……などなど。
- キューブリックマニアの間では、心理学まで持ち出して、よく話題にされる。
ら
- ライアン・オニール
- Ryan O'Neal
- 俳優。『バリー・リンドン』に主演した。
- 1941年4月20日、米国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。テレビ・シリーズ「ペイトン・プレース物語」(1964から1969)のロドニー役で人気を得て『悪女のたわむれ』(1969)で映画デビュー。続く「ある愛の詩」(1970)のヒットで一躍スターとなり、「おかしなおかしな大追跡」(1972)「ペーパー・ムーン」(1973)で人気は絶頂。
- 彼のファンだった娘の推薦もあってキューブリックは『バリー・リンドン』の主役に彼を抜擢した。
- 2023年12月9日、死去。
- ライオネル・ホワイト
- Lionel White
- 米国の小説家。『現金に体を張れ』の原作小説の作者。
- 1905年ニューヨーク州バッファロー生まれ。1920年代はクレヴァーランドをはじめカントン、オハイオなどで警察関係の仕事をしたり、ニューヨークで雑誌の編集長をしていた。1940年代に「World Detective」、「Homicide Detective」を出版する。作家としてのデビューは1952年説と1953年説の2つがある。主に強奪モノの書き手として、悪党達の物語を書いた。
- 1985年12月26日、死去。
れ
- レオン・ヴィタリ
- Leon Vitali
- 米国生まれ。俳優。
- 『バリー・リンドン』で成長したブリンドン卿を演じる。『バリー・リンドン』の後、1977年のスウェーデン・アイルランド合作、カルヴィン・フロイド監督「ヴィクター・フランケンシュタイン」"Victor Frankenstein, aka Terror of Frankenstein."(日本未公開)に出演。『バリー・リンドン』でキューブリックに心酔し、個人的助手として以後の全ての作品に参加。『シャイニング』ではダニー少年役を選出するためのビデオ・オーディションを手配、ダニー役を射止めた子役ダニー・ロイドの撮影中の面倒を見る。『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』でも同様の仕事をし、配役(キャスティング)担当として制作陣の中に名前が載っている。『アイズ ワイド シャット』ではサマートン屋敷で繰り広げられる秘密の儀式の場面で、ビルに「仮面を取れ」と命じる赤いマントの男を演じている。
- ミック・ジャガーやマルコム・マクドウェルを思わせる個性的ルックスの俳優。
- 2022年8月19日、死去。
ろ
- ロリータ
- Lolita
- キューブリックが監督した映画作品。詳しくは、こちら。
わ
- ワーナー
- Warner
- 20世紀フォックス、コロンビア映画などと並ぶ、米国の大手映画配給会社。
- 1924年、ポーランド移民である4人のワーナー兄弟によって設立されたワーナー・ブラザース。翌年にはヴァイタグラフ社を吸収し、1927年にセリフと歌の一部が俳優のクチの動きと同調するレコード式トーキーを全社挙げて開発、1928年にはファースト・インターナショナルを買収した。その第1作目であるアル・ジョルスン主演の「ジャズ・シンガー」を発表、翌年の「紐育の灯」で本格的なトーキー方式を採用し大成功を収めた。エロール・フリン、ベティ・デイビス、ジェームズ・キャグニーなどの大スターを擁し、ラブ・ストーリーやミュージカル、冒険劇などのあらゆるジャンルの作品でヒットを飛ばすが、大恐慌のあおりを受けて一時経営不振に。1940年代にはハンフリー・ボガードの一連のハードボイルドものやギャング映画で乗り切る。その後も経営は低迷したが1969年に金融会社キニーの傘下に入り復活、1970年代にはラブ・ストーリーやニュー・シネマの名作を生み出しメジャーを代表するまでになった。1989年には雑誌「TIME」のタイム社と合併、社名が「タイム・ワーナー・カンパニー」となる。
- 1995年にはCNNやニューライン・シネマを率いるテッド・ターナーのターナー・グループを買収した。日本でも東芝など数社が資本参加している。
- 用語
- THE DICTIONARY
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